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2009/05/03

■自己実現の落とし穴

先日、地元のNPOネットワークの集まりに出たことはCWSコモンズに書きましたが、そこで千葉県のNPO担当の人が、NPO活動には「サービスの提供」と「参加する人の自己実現」という2つの役割があると話しました。
NPOの2つの役割。
前に紹介した田中弥生さんは「サービスの提供」と「参加する人の市民性の向上」と言っていますが、「自己実現」と「市民性の向上」には雲泥の差があります。
その集まりでも、私は一言述べておきましたが、真意は伝わったでしょうか。

「自己実現」
よく使われる言葉であり、私も一時期、それにプラスの価値を与えていました。
しかし最近、その言葉にどうも抵抗を感ずるようになってしまっています。
大切なのは、「自己実現」ではなく「実現しようとしている自己」なのだと気づいたからです。
たとえば先日裁判が行われたJR荒川沖駅周辺での通り魔殺人事件の犯人の行動も、自己実現といえないことはないでしょう。

たばこ総合研究センターが出している「談」という雑誌がありますが、その最新号に芹沢一也さんが次のように語っています。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

生活世界の喪失を補償しようとするセキュリティは、それを実践する過程で一種の快楽を生み出しています。
たとえば、防犯パトロールに勤しむ住民たちは、そうした実践に参加することによって、生きがいや人とのつながりといった、とても具体的な生の充実感を手にすることができる。
その愉悦に満ちた振る舞いが、結果として弱者を排除していくわけですが、しかしながら現在にあっては、そうした住民もいつまで「内部」にとどまれるかはわかりません。
内部と外部を隔てている境界線は、住民たちが信じ込んでいるほど、現在にあっては堅固なものではないのです。
「外部」へと放り出された時、そこは生存への配慮が枯渇した不毛地帯です。
そして、善意と快楽に満ちた監視の眼差しに取り巻かれる。皮肉としか言いようがありません。
この15年間、私はさまざまな市民活動にささやかに関わってきていますが、ずっと感じてきたことを見事に表現しています。
こうした、自分の世界に浸ってしまっている「市民活動家」にたくさん出会ってきました。
彼らが一様に言うのは、しかし、「社会のために」と言う言葉です。
私は「社会のために」とか「社会貢献」などという言葉を自分の行動の説明に使う人にはとても違和感を持ちます。
それは、他者に言われる言葉であって、自分で言う言葉ではないだろうと思うのです。
しかし、私のところに来る人はなぜか、この種の言葉をよく使います。

もっとも、「市民性の向上」という言葉も、「社会のため」とそう変わらないような気もします。
私にとっては、そもそも「市民」などという言葉さえ、まだしっかりと理解できていないのです。
このことに関しては、これから時々書いていこうと思います。
とりあえず、「自己実現の落とし穴」だけを今日は問題提起しておきたいと思います。
その落とし穴に陥っている人が多すぎることに、最近、辟易しているのです。

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コメント

「社会のため」何気なく使ってしまいがちな言い回しなので耳が痛く感じます。
違和感を感じながらも自分の思っていることにぴったりな表現が見つからないため、困っているところです。

「モラルがない」にも似たような違和感を感じます。自分の正義を暗に主張しているようであまり好きになれない言葉です。正義を主張することの中には傲慢さを感じてしまいます。
最近では「自分のため」と思うようにしています。
町が綺麗になったり、周りの人に優しくするのは回りまわって自分のためになるからです。そう考えていればあまり強気にもならずに、本質のようなものを見失わずにすむような気がします。何事にも行き過ぎがありますからブレーキの役割もしてくれます。

言葉の選び方は難しいものですね。

投稿: 齋藤聖子 | 2009/05/06 09:25

齋藤さん
ありがとうございます。

三沢の花はいかがですか。
街中の花を見ると、いつも三沢で花づくり活動に取り組んでいる皆さんのことを思い出します。
皆さんが自分たちで開催した公開フォーラムは感動的でした。
あのプロジェクトには、関わらせていただいてとてもうれしかったです。

モラルがない。
確かにこの言葉も悩ましいですね。
私も言葉の使い方はかなり粗雑なのですが、言葉のつかい方の難しさはいつも感じています。

昨日も地元のある人と話していて、ある場所に「おしゃれなカフェ」でも作りたいね、といったら、自然を壊すようなものは共感できないと怒られました。
自然に溶け込むような、おしゃれなという意味だったのですが、正反対にとられてしまうことに気づかされました。

このブログも結構、安直に個人的な意味合いで言葉を勝手に使うことが少なくないので注意しなければいけませんね。

投稿: 佐藤修 | 2009/05/06 20:13

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