■節子への挽歌661:節子との対面が1日のはじまり
先日、パソコンを修理してくれた坂谷さんがメールをくれました。
パソコンのデスクトップの奥様を拝見して、むしろ、私のためにご自宅に奥様が誘われたような気がしています。私のパソコンの壁紙には、千畳敷カールに行った時の、節子の写真を使っているのです。
これが最後のハイキングでしたが、節子は元気に千畳敷カールを歩いて一巡したのです。
かなり体力は落ちていたと思いますが、とても元気に、歩きました。
空が見事な青さで、遠くに富士山まで見えたのです。
あの空の青さは、今でもはっきりと覚えています。
その日からちょうど1年目が、節子の命日になりました。
思ってもいなかったことでした。
あの時も、予兆はあったのですが、私はそれよりも目の前にいる節子の元気さしか見ていなかったのです。
人間は、自分に都合のいいものしか見ないものです。
つくづくそう思います。
もっと私に誠意があれば、そして賢さがあったならば、節子はパソコンにではなくて、隣の部屋に今でもいたかもしれません。
私も節子も、あまり賢くはなかったのです。
いつもパソコンを開けると、その時の節子が笑いかけてきます。
私は起きると先ず、パソコンを開き、メールチェックをします。
ですから、私の1日はその節子に話しかけることから始まります。
坂谷さんには、私のパソコン画面を見られてしまったわけです。
きっとパソコン周りにあった節子のほかの写真も見られたことでしょう。
私には、家族の写真をデスクに置く習慣はありませんでした。
節子がいなくなってからは、しかし、そういう文化が芽生えました。
枕元にも、デスクにも、笑顔の節子がいるようになりました。
節子は、決して私の愚かさをなじるようなことはしませんが、私自身は慙愧の念から抜けられません。
今日は雨です。
大雨のようなので、出かけるのをやめて、今日は自宅で仕事をすることにしました。
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