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2009/06/26

■節子への挽歌663:自分らしい老い方

節子
最近、元気が吸い取られてしまいそうな話がいろいろと耳に入ってきます。
そのうちの半分は、社会状況や本人の行動に原因を求められるのですが、半分は老いに関連しています。
人は「老い」と共に、さまざまな問題を抱え込んでいくことがよくわかります。
しかし、その老いをしっかりと自覚して人生設計を立てることは意外と難しいようです。
社会的に華やかに生きている人ほど、難しいのかもしれません。

人の生き方は、当然、歳とともに変化しますが、ある段階に到達して、それなりの生き方が実現すると、それがずっと持続していくような錯覚に陥りがちです。
だれも、自らの老いや衰えは認めたくないのです。
しかし、老いは例外なくやってきますし、それに伴って世間からの見方も変わっていきます。
自ずと生き方も仕事も変わらざるを得ません。
同じ仕事を続けていたいと思っても、それはよほどの場合以外は難しいでしょう。
いまなお現役を続けている森光子さんは、例外中の例外ですが、しかし、私には森さんのような生き方は、全く共感できません。

いずれにしろ、歳とともに、人は生き方を変えざるを得ないのです。
それを考えずに、これまでの延長で生きているといろいろと不都合が起こりかねません。
こんなことを書いたのは、今日、友人から、節子も知っている、私たちよりも年上のご夫妻が最近、いろいろと大変だという電話をもらったからです。
まさかそんなと思うような話ですが、冷静に考えると、むしろ当然とさえ思えます。

こういう電話は、今日に限ったことではありません。
実は最近よくこうした話が耳に入ってくるのです。
その都度、改めて自らの老いとともに、人の「老い方」の難しさを感じます。

老いは自分だけではなく、当然に周辺の老いも伴っています。
親の介護のために人生を変えた友人は何人かいますし、私のように伴侶を失って生き方が変わることもあります。
老いは、誰にもやってきますから、同じように生き続けることは無理なのです。
しかし、その当然のことを、人はなかなか気づきません。
私は、全くと言っていいほど、そんなことは考えていませんでした。
私の人生設計は、常に前に向かって進む、発展系だったのです。
今にして思えば、なんと馬鹿げた生き方だったでしょうか。

昨日と同じような生き方ができることが、どれほど幸せなことなのか、私は節子に教えてもらいましたが、同時に、それは決して続かない夢なのだということも教えられました。
しかし、そうしたことに気づかない人は、決して少なくありません。
そこから始まる不幸が、私の周りにも少なくないのです。

老いを意識しながら、自分らしい老い方ができれば、豊かな人生になるのでしょう。
節子と一緒なら、楽しい老い方ができたのでしょうが、一人になってしまった今は、賢い老い方しかできないのが、少し残念です。
賢い老い方ができるかどうかも、いささかの不安はありますが。

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