■行政の不作為犯
現場で汗している人の言動を私はほぼ無条件に信頼します。
なぜなら現場から見えてくる世界は、確かだからです。
今日は、自殺のない社会づくりネットワーク準備会の交流会でした。
テレビなどで最近良く紹介されている、東尋坊の茂さんと川越さんが参加してくれて、とても示唆に富むお話をしてくれました。
また交流会には若い世代の医療関係医者もたくさん参加してくれました。
いつも感ずるのは、まさに自殺が増えている層の参加が少ないことです。
実はそこにこそ問題の本質があるのだろうと思いますが、まあそれはまたいつか書かせてもらいます。
茂さんや川越さんの話は何回聞いても、その都度、いろいろな示唆を受けます。
しかしそれ以上にいつも私が共感できるのは、茂さんが指摘する「不作為犯」の話です。
茂さんが自殺防止活動に入ったきっかけは、まさにそこにあります。
その話は有名ですので、ご存知の方も多いでしょう。
詳しくは既にいろいろと報道されていますので、それを読んで欲しいですが、簡単に言えば、こういうことです。
警察官だった茂さんは、自殺を図ろうとしていた年配の男女を保護し、自殺を思い留めさせて、その後を行政の福祉部門に託しました。
警察は自殺の恐れのある人を思い留めさせられますが、規則により、その人をしかるべき行政部門に引き渡し、あとはそこに任せるというのが責務です。
しかし、残念ながら福祉行政は2人を救えなかったのです。
警察官だった茂さんは、それまでも問題が起これば、警察官としての責務を果たし、その後の問題解決はそれぞれの役割を担うところにお願いしていたのです。
ところが、信頼していたはずの他の行政部門は、形だけの対応しかしてくれなかったのです。
茂さんは、そこで、「行政の不作為」の現実を思い知らされます。
役割分担しながら、国民を守っているとばかり思っていた行政への不信が高まったのです。
茂さんは、こういうのです。
過度のストレス障害をもった人が東尋坊の岩場にやってくる。
そうした「自殺多発場所」であっても、何の対策も講じずに放置されている現状は、まさに「保護責任者遺棄罪」の不作為犯そのものであって、地方自治体は、殺人犯の行為を組織的・構造的に敢行している被疑者ではないか。
私もかなり過激な発言をしてしまう人間ですが、茂さんの過激さは私の比ではありません。
しかし、茂さんは批判するだけでなく、自らがその不作為の補償に取り組んでいるのです。
あまりうまく書けませんでしたが、茂さんの本や茂さんの講演などには、そうした茂さんの思いがよく出ていますので、ぜひ読んでください。
今日、あえてこのことを書いたのは、茂さんが指摘している「不作為犯」は、行政だけではありませんし、自殺問題だけでもありません。
そのことを書きたかったのです。
私も含めて、今の社会は不作為犯が多すぎます。
作為犯と不作為犯。
果たしてどちらが罪深いものか、考えてみる必要がありそうです。
茂さんはいつもとても明るいです。
それは、彼が不作為犯ではなく、いつも心が晴れているからではないかと、私は思っています。
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