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2009/06/28

■国を変えるための地方の乱の目指すところ

地方から国を変えようという取り組みをしてきた宮崎の東国原知事は、どうも本気でそうは考えていなかったような気がします。
自民党の総裁になって国を変えるのであれば、これまでの手法と全く同じです。
ただ、国を変える権力と権限がほしいといっているだけで、そこには「国家」のパラダイム転換はありません。
これまでの地方分権主義者は、例外なく、所詮は中央集権国家を前提としていたのです。
これは「お上国家」で育ってきた人たちには無理からぬことかもしれません。
東国原知事は、話題にはなっていますが、おそらく政治的には何の成果もあげていないでしょう。
彼のような政治家が評価されるような政治には、未来はないと私は思っています。
もう少し真面目に県政に取り組むべきです。

しかし、最近、アレッと思う発言がいろいろと聞かれるようになりました。
たとえば、横浜の中田市長が、税金を基礎自治体が徴収していかないと自治はできないというような話をされていました。
私の聞き違いかもしれませんが、国税を中心とした租税制度は中央集権の象徴です。
これについては、大昔、ソフト化経済センターでの研究会でまとめた「自治体解体新書95」に私も書いたことです。
内容はいささか粗雑ですが、そこでこう書きました。

「自治」の原点に立って今後の自治体行政のあり方を考えるためには、まず発想のベクトルを「統治」から「自治」へと反転させなければならない。発想の起点は国家ではなく、個人の生活ということになる。行政は個人生活を管理するものではなく、支援するものであるという本来の役割が改めて確認される。
権限の流れも反転し、個人から自治体経由で国家に向かうことになる。生活の基本は個人の自己責任と相互扶助であり、それでは対応が難しい問題が自治体組織に委ねられ、さらにそこでも難しい問題が機関委任事務として国家へと委託される。税金もそれに応じて流れることになる(中央交付金)。
地方交付税ではなく、中央交付税と言う発想に象徴されているように、発想のベクトルを反転させるということですが、これは中田さんの発言と同じ主旨です。

もう一つは、民主党の岡田幹事長の発言です。
橋下大阪府知事の、「民主党の地方分権論には道州制が組み込まれていない」という批判に対して、岡田さんは「基礎自治体を起点にして国を再構築していくなかで、下からの道州制を具体的に考えていく」という主旨の話を今日のテレビ番組でしています。
岡田さんもまた、ベクトルの反転を想定しています。
もっとも、岡田さんのいう基礎自治体は規模が大きすぎて、基礎自治体としてはほとんど意味がないと私は思っていますが。

国(世界)のつくり方が、いま大きく変わろうとしている。
そんな気がします。
当然ながら、国家のパラダイムが変わるということです。
近代主権国家は、そろそろ役割を終えつつあるような気がします。

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