■節子への挽歌648:世界に寄りかかって生きること
某研究所の研究員から子育て主夫に転じた若い友人が、松田道雄さんの「われらいかに死すべきか」という本を読んで考えさせられたというメールをもらいました。
研究者から主夫への転身はたぶん刺激的でしょう。
世界政治や国際経済などは、子育てや生活現場で起こっていることに比べたら、知識さえあれば対応できる退屈な話でしかありませんから。
松田道雄さんとは懐かしい名前です。
節子が子育ての指南書として読んでいたのが、松田さんの「育児の百科」でした。
核家族の中で、節子は子育てには苦労したと思います。
普通は、家元に帰って最初の子どもは産むのでしょうが、私がそれに反対したので、節子はほぼ一人で娘を育てたのです。
頼りは、松田さんのこの本でしたが、読書が好きではなかった節子が果たして読んでいたかどうかは疑問です。
私も読んだ記憶があまりありません。
私たちの娘たちが普通に育たなかったのは、そのせいかもしれません。
いやはや困ったものです。
今回紹介された本を、私も読んでみました。
年齢のせいでしょうか、私にはあんまり新鮮ではありませんでした。
知的な世界で活躍してきた研究者にとっては、新鮮なのかもしれません。
しかし、人間も70年近く生きていると、生活世界の実相はだいたい見えてくるものです。
そうした実感が文字になっていると、逆にとても空虚に感じてしまいます。
同世代が書いた人生論などは読むものではありません。
共感できるところはたくさんありましたが、面白かったのは言葉の端々から見えてくる松田さんの人生でした。
こうした文章からは、その人の生き様と心情が見えてきます。
たぶん、この挽歌にも私の人生が露出されているのでしょう。
本書を読んで、松田さんは私とは違う世界の人のように感じました。
自殺の自由を認めていることに、それは象徴されています。
最後の章は「晩年について」ですが、そこにもこんな文章がでてきます。
「自分以外の人間によりかかって生きることを、なるべく少なくすることが第一である」
私とは正反対の意見です。
そのことを一番よく知っていたのは、節子でした。
だれかに寄りかかっていないと生きていけないのが、私の本性であることを節子は見抜いていました。
それが節子の大きな心残りだったのです。
しかし、節子がいなくなった今、私は生き続けられているのはなぜでしょうか。
気がついてみたら、私が寄りかかっていたのは節子ではなく、すべての人たち、すべての生命だったのです。
もしかしたら、節子がそう仕向けていたのかもしれません。
私を支えてくれる世界の入り口に、節子がいただけなのです。
いいかえれば、節子が私を世界につなげてくれていたのです。
いえ、過去形ではなく、今もなお節子は私を世界につなげてくれているように思います。
生命は個々に完結していないことを、節子は身をもって教えてくれたのです。
だから個人には、自殺をする権利などあるはずもないこともです。
松田さんとは全く違う世界を、私はどうも生きているようです。
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