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2009/06/14

■怒りが鬱積している時代

鳩山総務大臣の辞任は、予想していたとはいえ、いささか失望しました。
郵政民営化路線はなかなか揺るぎません。
民営化とは私益化のことであり、税金を特定の個人もしくはグループに勝手に分け与えることであることが(つまり税金の恣意的な割り振りです)、なかなか認識されないようです。
かんぽの宿を1万円で購入して、福祉施設に6000万円で転売したという事例がありましたが、これはすべてに当てはまることなのです。
年金保険料を勝手に私的に浪費した構造と同じです。

それを許すのは、寛容な国民の知恵かもしれませんので、最近はまあいいかと思うようにしていますが、いまなおあまりいい気持ちがしないのが、こうした事件が起こるとみんな寄ってたかって悪口のいい合いをすることです。
このブログも、そんな側面があると指摘されそうですが、そしてされたことも何回もありますが、私としては一応節操を持って批判しているつもりです。
時々、勢いあまって口汚く個人をののしってしまいますが、反省しなければいけません。

いくつかのメーリングリストで、鳩山批判が飛び交っています。
現状の体制を批判している人たちのメーリングリストでも、です。
同じメーリングリストで、麻生首相が批判され、小沢元民主党代表が批判され、まあ批判の風が噴出すると、恐ろしいほどに批判は増幅していきます。
批判の内容は、実にさまざまです。
昔のことが批判されることも少なくありません。
対象は誰でも何でもいいのかもしれません。
その時に、目立つ行動をした人が、ともかく批判されることが多いです。
みんなきっと「怒り」を鬱積させているのです。
相手は誰でもいいのでしょうか。
しかし、そこには大きな危険性が潜んでいます。
つまり、批判は批判を削ぎあって、結局、現状を維持するようになっていくということです。

権力が自らの権力を持続させるためには、社会の外部に大きな批判の対象をつくることです。
ブッシュ政権はまさにその戦略をとりました。
体制維持のために、あるいは体制壊しのために、権力志向者が使う手法です。

もう一つの権力維持策は、批判を封じるのではなく、批判を巻き起こすことです。
これはむしろ不満を持つ側の人たちが、自らの暴発を回避する手段として、広げていく自衛策のような気がします。
四方八方に批判の嵐が起これば、社会に内在する不満は横の関係でエネルギーを解消していきますから、時に権力者も使いますが、持続はできません。
むしろ体制に不満を持っている人たちが、この手法を取りがちです。
そして、それぞれの怒りや不満を、相対化させ、自己納得してしまうわけです。
誰もが批判しあうことを許しあう文化。
一種の「寛容の文化」と言ってもいいでしょう。
これは、中途半端に豊かさを得た、いじましい人たちの知恵なのかもしれません。

どこか自虐的で、元気の出ない見方ですが、いろんなメーリングリストでのさまざまな批判メールを読んでいると、何だかそんな気がしてきます。
これもまた情報社会の落とし穴の一つかもしれません。

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