■節子への挽歌645:死者の眼差しを引き継ぐ
昨日の挽歌を読んで、娘さんを見送った大浦さんからメールが来ました。
大浦さんも、同じ思いで娘さんの本(「あなたにあえてよかった」)を書き上げたのです。
以前、大浦さんから、あの本は娘が私に書かせたのだと書いてきてくれたことがあります。
それはよくわかったのですが、私自身の挽歌は、節子ではなく私が書いていると私は思ったのですが、今から思うと大浦さんの思いのほうがどうも正しかったようです。
大浦さんは、私よりも長く、愛する人との別れを体験していますから、きっと私よりも真実が見えるのでしょう。
大浦さんは、私が書いた昨日の挽歌を「節子さんをそっくり郁代に置き換えて読ませて頂いてよろしいでしょうか」と書いてきました。
この気持ちもよくわかります。
私も誰かの文章を読んでいて、いつの間にか登場する人を節子や自分に置き換えて読んでいることがあります。
自分ではない人の書いたものに、自分に気持ちが素直になじんでしまうことがあるのです。
生死は、個々の人間の思いを越えて、広がっていることの現われかもしれません。
ところで、昨日紹介した中野東禅さんは、「死者の眼差しを引き継ぐ」ことが大切だとお話になりました。
節子がいなくなってから、私も節子の眼差しをいつも思っていました。
節子の眼差しを感ずるのではなく、節子が発していた眼差しを心身に取り込むということです。
友人や知人が来たときにも、「節子だったらどうもてなすだろうか」を意識しました。
それだけでなく、私のすべての生き方において、節子の眼差しを私の眼差しに重ねようと思っています。
おそらくこの4年ほどの間に、私の生き方は微妙に変わったはずです。
それはもしかしたら、この眼差しのおかげかもしれません。
眼差しが変わると世界の風景は変わってきます。
どう変ったのかと問われると、明確には答えられないのですが、間違いなく私の世界観や人生観、とりわけ人を見る目は変わりました。
もちろん自分ではっきりと説明できるほどの変わり方ではありませんが、眼差しに戻ってくる世界が微妙に変わっているような気がするのです。
考えてみると、これはなにも節子を見送ってから始まったことではありません。
節子と生活を共にすると決めた時に、そして節子との生活を育て上げる中で、私たちの眼差しはお互いに交差し合ってきたのです。
眼差しを重ねることこそが、愛なのかもしれません。
昨日、時評編で「友愛の社会」について書きました。
私が「愛」を抽象論ではなく、実践論にできたのは、節子のおかげかもしれません。
話が拡散してしまいましたが、
私は今でも「節子の眼差し」を意識しながら、行動しています。
しかし、節子がやりたかったであろうことには、まだ着手できていませんが。
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コメント
娘を“生きさせて”くださって有り難うございます。
日々、娘に支えられているなあと感じています。
大浦静子
投稿: 大浦静子 | 2009/06/08 21:48