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2009/06/02

■友愛の経済

昨日、「友愛の政治」について書きましたが、友愛は経済の基本原理にもなりうるものです。
事実、友愛をベースにした経済論は少なくありませんし、最近見直されだしている利他的経済はまさにその核に友愛の理念があります。
しかし、大きな落とし穴があります。
昨日と違って、今日はポジティブにではなく、その落とし穴のほうから少し書いてみます。
いうまでもありませんが、政治においてもそうした半面があります。
概念には必ず裏表があるものです。

私は20年ほど前からささやかに「福祉の世界」に接点を持ち出しました。
そこで驚いたのは、福祉の世界において、「福祉」を儲けの手段にしている人が決して少なくないことでした。
やや大げさに言えば、利得が渦巻いているのです。

その次に、環境の問題にかかわりだしました。
ここでもお金がちらついているのを感じました。
それなりに「若者の青くさい正義感」を僅かばかしですが、心に残していた私としては、衝撃的な話でした。
ですから、たとえば「環境や福祉の分野こそ、これからの企業の成長分野」などと高名なエコノミストや評論家が言うのが腹立たしく、僅かな機会を見てはその批判をしてきました。
その体験から、昨今のCSR論にも信頼が置けないのです。

さて、友愛です。
友愛もまた、市場の犠牲になりやすい概念です。
すでに友愛はビジネスの格好の対象になっています。
友愛を売り物にしたビジネスはすでにいろいろと出てきています。
昨日引用したジャック・アタリもその点を指摘しており、悪化としての友愛と良貨としての友愛を書いています。
もちろん彼は、後者が結局は勝つだろうことを期待しています。

友愛の経済論は、協同労働や共済文化の経済論にもつながります。
共済研究会でも、そうした議論が時に行われています。
6月13日に共済研究会もありますので、よかったら参加してください。

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