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2009/06/09

■ラビエンヌスの信義

「友愛」の話を何回か書きましたが、NHKの大河ドラマ「天地人」では、「義」と「愛」がテーマのようですので、「義」の話も書いておきます。
「愛」とともに「義」が失われてきているのが、いまの私たちの社会だという気がするからです。

私はそれなりに「義」を大事にしています。
「不義理」もたくさんしていますが、一応、意識的には「義」に生きたいと思っています。
「友愛」を語っているジャック・アタリは「義」(フィデス)に関してはあまり語っていませんが、彼の「21世紀事典」には「信頼」(confiance)の項はあります。
そこには、信頼こそがすべての分明の支柱だが、市場や契約の文化は信頼の倫理の価値を低下させ、信頼は徐々に権利と裁判制度に置き変わっていくだろうと書かれています。
「義」と「信頼」は別物ですが、義が失われていけば、自ずと信頼関係は成り立ちにくくなります。

塩野七生さんの「ローマ人の物語」によれば、ローマ人は義を大切にしたようです。
契約よりも法よりも、人間同士の義が優先されたようです。
しかし、これは何もローマ人に限ったことではありません。
日本でもしばらく前まで存在していた文化です。
武士道の話ではなく、庶民の世界の話です。
10年ほど前ですが、山梨に転居した人から聞いた話ですが、講のような組織があって、そこの行事が何よりも優先されるので、会社を休まなければいけないこともあるのだそうです。
その根底には、たぶん「義」につながるものがありそうです。

「ローマ人の物語」には、カエサルとラビエンヌスの話が出てきます。
カエサルがルビコンを渡ろうとした時、彼がもっとも信頼していた副官のラビエンヌスが、渡河の前夜、カエサルのもとから去ったのです。
ラビエンヌスは、カエサルの敵になるであろうボンベイウスと義を交わしていた関係柄だったのです。
ラビエンヌスがカエサルの許を去ったのは、ポンペイウスへの義からでした。
それを知っていたカエサルは、自分を裏切ったラビエンヌスを非難するどころか、彼の荷物をわざわざ送り届けさせたそうです。
私が大好きな種類の話なのですが、個人間の義よりももっと大きな儀があるはずだという意見もあるでしょう。
理屈では、私もそう思います。
小さな義のために自死する政治事件や経済事件の報道に接すると、私はいつもそう思って、死者は犬死ではないかなどと思ってしまいます。
しかし、もしかしたら、瑣末に思える個人間の「義」こそが、人のつながりの根源であり、社会の基本なのかもしれないと、いう気もするのです。
大きな義よりも小さな義のほうが大切だということです。

この話を書き出すとそれこそ、社会とは何かという大命題にまで至ってしまうのですが、義のない社会は存続できません。
つまり壊れるしかないのです。

大きな義が失われだしてからもうだいぶ経ちますが、私の周りでは、小さな義も急速になくなってきています。
おそらく自分では気づいていないのですが、私もまた「義」を欠いた生き方にどんどんなってきているのでしょうね。
今日はどうも自己反省、自己時評になってしまいました。

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