■ホーリー・アポストル教会
先週、イスラエルのネタニヤフ首相が、条件付きながらも初めてパレスチナ国家樹立を容認する考えを示しました。
オバマ大統領は「重要な一歩前進」であると評価しましたが、条件が厳しすぎることからパレスチナ自治政府はむしろ発言を非難していますから、中東和平協議の再開にすぐに結びつくことにはならないでしょうが、ネタニヤフ首相が本心で語っているのであれば、一歩前進に向かう可能性はゼロではありません。
昔、「栄光への脱出」という映画がありました。
プロパガンダ映画ですが、その映画ですら、イスラエル建国前には、アラブとユダヤが仲良く一緒に暮らしていたことを思わせる様子が描かれています。
アメリカのコミュニタリアンのエツィオーニが、その著書「ネクスト」の中で紹介しているマンハッタンのホーリー・アポストル教会の話はとてもホッとします。
そこでは、毎週、金曜日にはキリスト教を象徴するようなあらゆる事物はきれいに取り払われ、その日は礼拝所を持たない地元ユダヤ教の信徒たちに教会を提供するのだそうです。
ユダヤ教徒たちは、その日は、そこで安息日の礼拝を来ない、礼拝が終わると、借りたときのままの状態に戻してキリスト教徒に返すのだそうです。
キリスト教とユダヤ教でそれができるのであれば、イスラム教とも可能でしょう。
イギリスの社会起業家の先駆者の一人として有名なアンドリュー・モーソンは、自らが預かった教会を地域に提供することで、貧しいブロムレイ・バイ・ボウを、豊かな地域にしました。
教会を地域みんなのコモンズ空間として活用したのです。
私は、ゲルマン法理の「総有」に共感しています。
すべてのものは、所詮は社会からの預かりものであり、預かったものは社会のために効果的にそれを活かしていく権利と責任があるのです。
地球はみんなのものという認識の下に、いま環境問題が語られていますが、その発想に立てば、土地もまたみんなのものです。
土地を囲い込むような、「国土」発想はそろそろ捨てられないものでしょうか。
パレスチナに限った話ではありません。
日本もいまなお領地問題を抱えていますが、発想を換えなければいけないような気がします。
| 固定リンク
「平和時評」カテゴリの記事
- ■戦争をやめさせたいのであれば、戦争をつづける人に加担すべきではない(2022.12.22)
- ■外交が見えない(2022.12.21)
- ■汚れ役はいつも「端役」に任される(2022.12.18)
- ■「善徳女王」に金庾信(キム・ユシン)が登場(2022.12.07)
- ■節子への挽歌5487:最高に幸せな気分の日でした(2022.12.06)
コメント