■節子への挽歌666:姿は見えないけれどサワガニがきっといるのです
節子
私の還暦祝いに、家族みんなでつくってくれた小さなビオトープがなかなか言い雰囲気になってきました。
自然らしくなってきたという意味です。
私は、どちらかというと手入れされた庭よりも、自然のままの雰囲気が好きなのですが、今の状況はとても気にいっているのです。
とても小さな池がふたつあり、めだかや金魚、エビが棲息しています。
タナゴもいます。
一時、ゲンゴロウやミズスマシなどもやってきていましたが、最近は見かけません。
草が覆い茂ったせいかもしれません。
写真では単なる雑草の塊にしか見えないかもしれませんが、私にはとても思いのある空間です。
ここに、実はサワガニが棲息している可能性があります。
昨年秋に放したのですが、残念ながらその後、姿を見かけませんが、いまのうっそうとした雰囲気であれば、仮に棲息していたとしても、たぶん見つからないでしょう。
昨年までは石をどけたりして時々サワガニ探しをしていましたが、今年からやめました。
なぜならば、見つけるかどうかよりも、そこに私の好きなサワガニが棲んでいると思っていることのほうがいいと思い出したのです。
今年はまだサワガニを放してはいないのですが、夏にまたどこかで探してきたいと思っています。
節子がいたら付き合ってくれるのですが、現実主義者の娘たちには頼めませんし、一人で行くのは私のスタイルではないのです。
ショップで購入するのもいいのですが、最近、あまり見かけません。
まあショップには滅多に行かないのですが。
サワガニの姿は見えなくても、そこにいると思えばうれしくなる。
節子の姿は見えなくても、隣にいると思えば幸せになる。
こじつけのようですが、そんなことなのかもしれません。
さて、今日も節子が一緒だと思ってオフィスに出かけましょう。
今日は、3年以上会っていなかった人が2人、会いたいと言ってきたのです。
一人はビジネスの世界の人、一人はまちづくりの世界の人です。
長いこと音信がなかった人が、なぜか会いたいとこの頃、言ってくることが多いのです。
不思議です。
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