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2009/06/07

■友愛の社会

最近の社会の壊れ方に、私自身それなりに危機感を持っています。
もっともそうした意識を持ったのは中学生の頃からですから、この半世紀、一体何をしてきたのかと反省しなければいけません。
何もしなかったわけではなく、それなりにやってきたこともありますが、物事、成果が出なければ意味がないと最近は感ずるようになって来ました。
そうであれば、もっと活動しなければいけないのですが、根が怠惰なのとどこかに覚めた自分がいるのです。
困ったものです。

今日、地元の仲間たちとの集まりがありました。
地元に新しい風を起こしたいと、もう半年くらいやっているのですが、毎回のように少しずつ仲間が増えてきます。
みんな「何かをしなくては」という思いがあるようです。
怠惰な私は、本当はあまりやりたくなく、ある人から相談を受けたので断れずに参加しているので、本当はどこかで抜けたいのですが、新たに参加してくる人の話を聞いていると、抜けるわけにもいかなくなってしまうのです。
みんな地域を愛しています。

ホームページに書きましたが、元大企業の経営者だった友人と話していて、あまりにも私と同じ考えを持っているのに驚きました。
大企業の経営者も、もしかしたらまだ捨てたものではないかもしれません。
希望を感じました。
企業経営幹部の集まりにもコーディネーター役で関わっているのですが、これも最近は退屈でやめたいのですが、やはり続けようかと思いなおしてしまいました。
実は、そこでも最近、「愛」が語られることが増えているのです。

自殺のない社会づくりネットワークを立ち上げるために準備会を発足させました。
新聞やネットで知った方から参加の申し出があります。
若い人も決して少なくありません。
みんな、今の社会に違和感を持っているようで、何かしたいと思っているのです。
そういえば、これもホームページに書きましたが、先週は、60代から70代の数名の人にお会いしましたが、みんなそれぞれのテーマで無私の思いで、おかしくなってきた社会をどうにかしたいとがんばっています。
その根底には、隣人への愛を感じます。
怠惰な私としては、どれもこれも関わりたくないのですが、気がつくと勝手にコミットしている自分がいます。
どうしようもなく、困ったことなのですが。

テレビや新聞で報道される事件を見ていると社会はどんどん壊れるだけだと思ってしまいますが、そうした動きの一方で、さまざまな「希望の動き」も広がっているのです。
そんな動きには関わりたくないのですが、不思議なもので、希望は私のような怠惰な人間も引き込んでいくのです。

今日の「天地人」では、直江兼続が自らの「義」を表わすものとして「愛」を選んだ話でした。
この「天地人」はシナリオがめちゃくちゃで毎回イライラしてしまいますが、まあそれはそれとして、「義」と「愛」はつながっています。
勝手な解釈かもしれませんが、それらは「友愛」と置き換えてもいいように思います。

友愛の政治、友愛の経済、について書きましが、社会の根底にあるのも「友愛」です。
怠惰な私にさえ、それが見えるのですが、怠惰だからこそ見えるのかもしれません。
みんな忙しくなりすぎました。
友愛と忙しさは、両立しないのかもしれません。

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