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2009/06/13

■「お上」依存意識からの脱却

いま、地元の仲間たちと新しいLLP(有限責任事業組合)を立ちあげようと準備を進めているのですが、その設登記書類を作っていて感じていることがあります。
規則通りにやろうと実に几帳面な人が少なくないということです。
私は、規則とか法規は、「善意を支援し、悪意を防ぐ」ためにあると考えている人間ですので、規則に書かれた文字の一字一句にはほとんど興味がありません。
たとえば、住所表示の仕方で、私の住所は「我孫子市白山1-27-6」ですが、ある人が「1丁目27番6号」と書かないとだめだと指摘してくれました。
たしかにその通りで、略式表記は契約書などでは嫌われます。
ですから住所表記を全部書き換えたのですが、そうした議論を通じて、日本人は徹底的に「統治される民意識」埋め込まれていることを実感しています。
民がきちんと忠実に従っていても、年金で見られるように、「お上」は全くいい加減に処理していることをこれだけ見せられても、国民の意識は変わらないのです。

私は21年前、自分の会社の設立登記を自分でやりましたが、登記所の人から書き直しや捨て印を押すことを強制されました。
書き直しは拒否しましたが、捨て印は結局、受けてしまいました。
捨て印を押すということは、「お上」に勝手にやってもいいという恭順の意の表明だと当時は考えたのですが、面倒になって受けてしまいました。
今から思えば、恥ずかしい話です。

最近、つくづくと思うのですが、資格をもった専門職というのは、お上に寄生する職業です。
その人たちの仕事を保証するのが法規(行政手続法)なのかもしれません。
昨年から、収入がないので、私の個人会社の決算作業や税務申告手続きを自分でやるようにしました。
それまでは税理士に頼んで月額5万円と決算手続き費用を負担してきました。
ところが自分でやってみたら、2日もあれば出来ることが分かりました。
但し、減価償却とかいろいろとややこしいことをやろうとするとわかりません。
幸いに最近は会社の売り上げがほとんどないため、まあ簡単にやれるのですが、いかにも難しい様式になっています。
大企業であればともかく、売上高の小さな企業であれば、もっと簡単に税務申告できる仕組みはいくらでもできそうです。
複雑にしているのは、税務署の権威を高め、税理士や会計士の仕事を創出するためではないかとさえ、思うほどです。
何でこんなことまで専門職に費用を払って頼まなければいけないのかと思うことは決して少なくありません。

私の友人知人にも、税理士や会計士や行政書士などもいますので、いささか言いよどみますが、本当にそうした職業は必要なのでしょうか。

そう考えると、私が会社時代にやっていた仕事は価値があったのだろうかという反省も起こってきます。
私は入社後6年くらいして、企画部門に配属されました。
そこで全社的な経営計画を立てたり、事業戦略のための調査活動をしたりする仕事に取り組んでいました。
いわゆる「戦略参謀業務」ですが、これって果たして会社に必要だったのだろうかという気がしています。
その疑問が当時から少しあって、ボスには現場に出してくれといっていたこともありますが、お前には無理だといわれて出してもらえませんでした。
つまり私にはお金を稼ぐ能力がないと評価されていたのかもしれません。

私が当時やっていた仕事は、いまの言葉を使えば「知識労働」です。
ところが最近は、その「知識労働」が主役になっていく時代なのだそうです。
「知識社会」なる言葉もあります。
これからは創造性をもった知識労働者が新しい事業を起こしていくとも言われています。
しかし、「知識労働」って何だか分かりにくい言葉ですね。
汗して生きている人が、ますます報われない社会にならなければいいのですが。
そのためには、私たちもそろそろ「お上」依存意識から抜け出さないといけません。
それは、結構むずかいいことなのですが。

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