■節子への挽歌650:夫育てがうまかった節子
節子
ようやく地元の我孫子での活動仲間の組織が実現しそうです。
節子がいたら、いろいろと一緒にできたはずなのですが、そのシナリオは全く違うものになってしまいそうです。
新しい組織の名前は「コモンズ手賀沼」です。
「コモンズ」は、この20年来、私が取り組んできたテーマです。
しかし、私がむりやりつけた名称ではなく、ほかの方が付けてくれた名前です。
時代は、まさに「コモンズ」が流行語にさえなりだしています。
もっとも、その言葉に期待する意味は人によってかなり違ってはいますが。
私の「コモンズ」発想を、たぶん最初に理解してくれたのも節子でした。
20年以上前に私が「真心の時代」などと言い出して、みんなからひんしゅくをかっていた時も、節子は一番の理解者でした。
そこに実体を与えてくれる上でも、節子は力強い同志でした。
私がなにか新しいことを始めようとする時、いつも節子に相談しました。
相談と言うよりも、節子に話すことで、私の考えが整理され、そして何だか実現できるような気になれるのでした。
そして、どんな小さなことでも、私の思いが実現すると、節子は私と一緒に喜んでくれました。
それが私には最大のモチベーションになりました。
だから、私は新しいことに取り組むのがとても楽しかったのです。
節子は、子育てはうまくなかったかもしれませんが、夫育てはうまかったのかもしれません。
節子がいなくなった今、そのモチベーションがなくなってしまいました。
そのせいか、最近は何をやっても充実感がありません。
それどころか、こんなことをやっていていいんだろうかなどと思ってしまうことさえあります。
私がやっていることは、世間的に見れば、いずれもとても小さなことです。
それに、自分から何かをやるという生き方は、もうだいぶ前にやめてしまいましたので、ほとんどは誰かの話を聞いて、余計なお世話をするのがせいぜいです。
それもたいしたことはできません。
私と話しているうちに、元気がなかった人がちょっと元気になるというようなことが、私の最大の喜びなのです。
節子は、そのことをよく知っていました。
そして私と同じように、それを喜んでくれました。
地元の我孫子の活動はこれからどう展開するかわかりませんが、節子がいたらいろいろと楽しいことができたはずです。
でも、私一人ではあまりやろうという気にはなれないのです。
組織がほぼ立ち上がったので、興味は急速に冷えだしてしまっています。
困ったものです。
地元での活動は、それ以外の活動とは全く違い、節子の不在を思い出させます。
どこかで、節子との接点が必ず出てくるからです。
それに、メンバーにご夫妻で参加してくださっている人もいます。
その人たちと話していると、どうしても節子のことを思い出してしまいます。
地元の活動は、やめればよかったと思うことさえあるのです。
続けられるでしょうか。
最近ちょっと不安になってきています。
節子には笑われそうですが、それが正直な最近の気持ちです。
節子がいればこその、私の地域活動だったのかもしれません。
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