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2009/06/03

■節子への挽歌640:医療と私情

これは、医療時評で取り上げるべき話なのですが、ことの成り行き上、挽歌として書くことにします。

先日、引用させてもらった節子の主治医だった先生からのメールに、「医師と患者さんの関係は微妙であり、時に私情が過ぎるとうまくいきませんよ」という言葉が出てきます。
私も同じような言葉を、このブログでもかいています。

節子と一緒に、病気と付き合いながら、次第にこの考え方は私の意識の中からは消えていきました。
いまでは、むしろ「医療とは私情に裏付けられるべきではないか」という思いさえあります。
この場合の「私情」とは、「利己的な気持ち」ではなく「公の立場を離れた表情のある人間的な感情」という意味です。
いいかえれば、医師という肩書きではなく、その根底にある人間の気持ちということです。
病気を診ずに患者を診るということは、そういうことなのだろうと考えるようになりました。

医療と医学、医術は違います。
医療の「療」とは、いうまでもなく「いやす」ということです。
「いやす」ためには、人間的な要素が不可欠です。
こう考えていくと、医師と患者の間に一番大切なのは、ある種の「私情」ではないかと思います。
薬よりも、医師の心のこもった一言が、患者を元気にするのです。

病院におけるコミュニケーションの問題に関心を持っている人が、私の周りには少なくありません。
コミュニケーションを「論理」の世界で考えるか、「感性」の世界で考えるかは、重要な視点だと思いますが、人間が生命をかけて出会っている病院においては、後者の次元におけるコミュニケーションこそが大切ではないかと思います。

ちなみに、メールを下さった節子の主治医の先生は、節子にも私にも、とても人間的に接してくれました。
私たちも、人間として自然に付き合ったつもりです。
節子が元気になったら、患者と医師としてではなく、家族づきあいもできたような気がします。
それが実現できなかったのが、節子にはとても残念だったでしょう。

先生からのメールは、節子には届いているでしょうか。
一応、位牌には報告しておきましたが。

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