■節子への挽歌646:「人間は夫婦に後悔がなければ死ねる」
もう一度だけ、中野さんの話について書かせてください。
実はまだ中野さんの本は読んでいないので、テレビで聞いた話です。
中野さんはがんで死に直面したことがあります。
その時に、いろいろと考えたそうですが、一番の気になったのは奥さんのことだったそうです。
誤解されそうな言い方ですが、そこで中野さんの辿りついた結論を聞けば、その意味がわかってもらえると思います。
中野さんはこういいました。
「人間は夫婦に後悔がなければ死ねる」
この言葉は、とても共感できるのですが、同時にとてもそんなことなどありえないとも思いました。
私の場合で考えてみましょう。
とても後悔がないとはいえませんが、それでもたしかに節子と愛し合えてきたことを考えるといつ終わっても「悔い」は残らない人生で、たぶん静かに自らの死を迎え入れられたような気がします。
もちろんやり残したことはたくさんありますし、私にとっては節子と会えなくなることは寂しいことですが、たぶん辛いという気持ちはさほど起きないかもしれません。
節子はどうだったでしょうか。
私との関係には後悔はなかったように思いますから、その点に関しては心安らかだったかもしれませんが、私の節子への思い入れの深さを知っていましたので、自分がいなくなった後の私のことは気にしていました。
さらにいえば、まだ結婚していない娘たちへの心配は大きかったと思います。
中野さんは「夫婦」と言っていますが、ここは「家族」と言ってもいいでしょう。
たしかに「家族に後悔がなければ」、人は心安らかに人生を終えられるはずです。
このことの意味は、とても大きいような気がします。
中野さんは「亡き人を覚えているのは家族の役割」と言いましたが、それは、「家族に後悔がなければ人は死ねる」という言葉とセットになっています。
最近、家族が壊れだしているように思いますが、それは心安らかに人生を終えられなくなるということかもしれません。
終えられない人生は、おそらく始められない人生でもあります。
家族とは何なのか、節子のおかげで、その意味をいろいろと考えさせてもらっています。
今となっては、もうあまり意味のないことかもしれないのですが。
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