■不幸な1日
このブログでも八つ当たりしていますが、最近、とても機嫌がよくないのです。
ともかく周辺に問題が多すぎますし、自分自身もそれなりに問題を抱えています。
周囲の問題は、無視すればいいだけの話ですし、自分の問題は腹をくくればいいだけの問題です。
この蒸し暑さも、クーラーをかければ逃れられます。
しかし、性格上、どうもそうした生き方ができないのです。
まず最近、滅入っているのは元気が出てこない相談が多すぎることです。
それもなぜか、結構、不義理されている人からの相談が多いので、何でいまさらと思うことも少なくないのですが、そういう「不義理な相談」でも、いざ相談されるとなぜか受けてしまう習性が私にはあるのです。
決して、その人のために、などと思うわけではないのです。
むしろ自業自得だろうと、どこかで思っている自分さえいるのです。
でも、なぜか相談を受けたら、過剰に反応してしまう。
これは、おそらく私に限らず、すべての人の持つ、生命の本性です。
そういえば、以前、このブログでも「欲望としての他者救済」の話を書きました。
もっとも、その本性に気づかない人が多いのですが、私は気づくタイプなのです。
一度気づいてしまうと、変えようと思っても変えられないものです。
昨日は、あるプロジェクトで私の知人同士を引き合わせる日でした。
私は同席しないでもよかったのですが、いささか心配で、頼まれてもいないのに、暑いのにわざわざ交通費まで払って出かけました。
ところが、肝心のその人が突然の休暇になってしまっていたのです。
嘘だろうと思いましたが、嘘ではありませんでした。
疲れきって湯島のオフィスに寄りました。
そうしたら、なぜか次々と電話です。
うれしい電話もひとつだけありましたが、なぜか昨日は疲れる電話ばかりでした。
なんでこうも問題が多いのでしょう。
もしかしたら、ほんとうに不況なのかもしれないと、危なく信じてしまうほどでした。
念のために言えば、私は今が不況などと思っていないのです。
今日も長電話で相談のあった危機的な事業でいえば、景気などの問題ではなく、無責任な行政と事業を引き受けた企業の経営者の無責任さが原因です。
倒産してしかるべきですが、ある程度事情を知っていることもあって、私の気分も複雑です。
あまり詳しく書くと何の話しかわかる人にはわかってしまうのでやめましょう。
しかし、腹立たしいです。
無責任だった人が、今はのうのうとしているからです。
ところで、帰宅したら、突然休暇だった人からメールが届いていました。
入院されていたお母さんが大変だったのだそうです。
連絡のつけようがなく、すみませんという謝罪のメールでした。
非常識な行為の背景には、必ずそれなりの事情があるものです。
「迷惑をかけた人」と「迷惑をかけられた人」と、どちらが「大変だった」かというと、多くの場合、前者の人のほうが辛いことが多いのだ、という体験則を最近忘れてしまっていました。
それを忘れて腹を立てていた自分がいやになりました。
昨日、電話などで相談に乗った人にも、もしかしたら、失礼な対応をしたのではないかと気になりだしたら、さらに不幸な気分になりました。
不幸とは、結局は自分にその原因があるものです。
困ったものです。
それに腹を立てたところで、何かが解決されるわけでもありません。
今日、1日、また相談に乗ったりしていたら、少し頭が冷やされました。
明日は幸せな1日にしようと思います。
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