■21世紀政治モデルの基本は異質の価値観の調和
二大政党政治やマニフェストは20世紀型の、もう終わった政治モデルだと書きました。
さらにいえば、「政党政治」そのものが20世紀型のモデルではないかと思います。
これに関しては、ブログで書くようなテーマではありませんが、
明日からまた政治の茶番劇がにぎやかになるでしょうから、
その前に基本的な私の考えを書いておくことにします。
私の友人の武田文彦さん(私のホームページに国家論を掲載しています)は、代議制は民主主義にあらずと主張します。
そこまで言わなくても、代議制と直接民主制は全くといっていいほど異質なものだと私も思っています。
なぜ異質かといえば、原理が違うからです。
私の言葉で言えば、「個人起点」か「組織起点」かの違いです。
民主主義は実は独裁政治への入り口を用意します。
ナチスも民主主義を標榜する代議制から生まれたものです。
大衆民主主義の恐ろしさは、よく指摘されています。
私たちも、郵政民営化選挙でそれを体験したばかりです。
つまり、民主主義は演出の仕方で、大きな流れを、それも熱狂的な流れを産むことができるのです。
議会は、そうしたことを加速させる、いわば「増幅」機能を持っているのです。
「民主主義のジレンマ」といってもいいでしょう。
しかし、そうしたファシズムへの動きを阻止する役割を担っているのも、議会です。
つまり、議会は、本来は民主主義の暴走をチェックする存在でもあるのです。
しかし、それが可能になるのは、議会でしっかりした「対話(コミュニケーション)的行為」が成り立っている時です。
対話的行為とは、ハーバマスが言い出した概念です。
ハーバマスは、成果を志向した目的合理的な行為一辺倒の近代がもたらした人間悲劇を克服するために、まずはお互いの違いをしっかりと認め合って、相互肯定的な対話によって、了解の世界を広げていくことが大切だというのです。
なんでもないように聞こえるかもしれませんが、これはそれまでの「コミュニケーション」観とは全く違ったものです。
そこには「勝ち負け」などという発想はありませんし、目的達成が第一義的にあるわけでもありません。
世界を、一元的な価値で覆いつくそうなどという発想もありません。
あるのは、異質を相互肯定しあうことで、自らの世界を、したがってお互いの世界を豊かにしようという姿勢です。
急いで「合意形成」する必要もありません。
対話的行為の先にあるのは、新しい社会原理です。
私が考えている21世紀政治モデルもまた、こうした発想に従っています。
この基準から考えれば、今の政治状況の行き先はかなり見えてきます。
組織に従属している議員は、存在価値がないのです。
政党も、全く違った役割を果たすものになるでしょう。
政党政治はもう終わったのです。
8月30日の選挙結果は、私には明らかです。
しかし、これまで私の予想が当たったことがありませんから、また裏切られるかもしれません。
私にとっては、あまりに明らかなことがなかなか現実のものにならないのは、どうしてでしょうか。
その答もまた、よくわかっています。
私の時間軸が間違っているのです。
時間軸の違う世界を生きることは、疲れますが、面白くもあります。
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コメント
個人が自分の意見を持たなくなったのか、放棄したのか、牽引力の強い個性的な人間が方向性を付ければ、付和雷同して進んで行く。小泉政権は全くファシズムじゃありませんか、其の結果は惨憺たることになりましたが、党利党略や派閥などに終始している政治はもう厭です。民主党も自民党も大同小異でしょう。
投稿: maron | 2009/07/21 04:03