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2009/07/13

■節子への挽歌680:「心のリレーを実現するノート」

冠婚葬祭事業に取り組んでいる株式会社サンレーの社長の佐久間さんからエンディングノートが送られてきました。
佐久間さんは、節子には会ったことはありませんが、闘病中の節子をとても気にしてくださっていました。
韓国に出張した時には、私が関心を持っていた灌燭寺(アンチョクサ)の弥勒仏にまで足を延ばし、そこで節子のためにお守りまで買ってきてくれました。
節子もとても感謝していました。

節子がいなくなってからも佐久間さんはいろいろと心配りをしてくれています。
節子がいなくなってから佐久間さんとは私もお会いしていないのですが、著書が送られてきたり、メールが来たりで、会っていない感じはあまりしません。
不思議に身近にいる感じなのです。

その佐久間さんが今回、自作のエンディングノートを送ってきたのです。
添えてあった手紙にはこう書かれていました。

このたび、究極のエンディングノートを作成いたしました。
エンディングノートとは、自分がどのような最期を迎えたいか、どのように旅立ちを見送ってほしいか‥‥それらを自分の言葉で綴ったものです。
高齢化社会の昨今、かなりのブームとなっており、各種のエンディングノートが刊行されて話題となっています。
しかし、遺産や財産のことなどを記すだけの無味乾燥なものがほとんどあり、そういったものを開くたびに、もっと記入される方が、そして遺された方々が、心ゆたかになれるようなエンディングノートを作ってみたいと思い続けてきました。また、そういったノートを作ってほしいという要望もたくさん寄せられました。
「HISTORY(歴史)」とは、「HIS(彼の)STORY(物語)」という意味です。
すべての人には、その生涯において紡いできた物語があり、歴史があります。
そして、それらは「思い出」と呼ばれます。
自らの思い出が、そのまま後に残された人たちの思い出になる。
そんな素敵な心のリレーを実現するノートになってくれることを願っています。
佐久間さんらしい思い入れです。
ただ残念ながら今の私には、あまり手に取る気にはなれません。
思い入れのあるエンディングノートを自作した知人がもう一人います。
寿衣を縫う会の嶋本さんです
彼女からもいただいていますが、実はきちんと開けずにいるのです。

エンディングノートのことはまた改めて書こうと思いますが、その名前が私には好きになれません。
嶋本さんは、名前を「サクシードファイル」と替えました。
でも何かピンと来ません。
ところが、佐久間さんの手紙の中にとても心に響く言葉がありました。
「心のリレーを実現するノート」です。
こういう名前ならば、あるいはこういう行為であるならば、イメージは一変します。
そして気づきました。
この挽歌は、節子の心を、次の世代につなげるノートなのだと。

この続きはまた近いうちに書きます。

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妻への挽歌04」カテゴリの記事

コメント

毎日、読ませて頂いております。
佐藤さんが心をこめて書いていらっしゃる挽歌を、節子さんの心を次の世代につなげるノートだと思われたこと、
とても共感致しました。

本「あなたにあえてよかった」、続編としての
ブログ「mikutyanの日記」も、
郁代がその生涯において紡いできた物語、歴史を、
そのまま後に残された人たちの思い出になるよう、
願ってのことだったなあと。

郁代の心が、次の世代にリレーされたら、
郁代が生き続けているように思えて、うれしいのです。

投稿: 大浦静子 | 2009/07/13 10:52

エンデングは次の生への大事な幕開けだと思います。本を読むときエピローグを読む楽しみがあります。遺作だったり、多くの支えてくれた人への感謝が綴られていたり、本の中身が熱くなったり、軽く感じたりします。先に逝った人は妻を恋ふ、夫を恋ふという哀惜の念の句や、本、などありとあらゆる長所を今さらのように褒めさえされて、自分の傷を軽くするために、じっとしていられないのです。昨日までわが命のように熱愛していた人が突如としてあの世に旅立った時、人の想いと言うのは、決して眼に見えないからとて、終わりではないと思うのです。目に見えないからこそ、貴重なのではと思ったりします。
哀しみを隠して、明るく振舞う、明るく生きる、これは人の心をうちます。現実には手を伸ばして抱きしめる人のいない,虚しさは経験した人でないと、味わえない辛さです。
嗚咽しながら、慟哭しながら、涙ぐんだり、明日など来なければいいのにと、言いながら明るい明日を待っているのです。
決して巡りあう事のない人を,失った悲しみを忘れるために
取りあえず、立ち上がらねばなりません。

投稿: 井原 京子 | 2009/07/14 21:37

佐藤様の節子挽歌を読むと永遠の生を与える為に死が有るように感じます。生の路線上に死があり、生と死は渾然としてエンディングなど考えられません。
夫は心筋梗塞を3回も起こし、心不全となり、死を覚悟しました。
様々な人を失い、生きると言う事の意義も考えました。

投稿: maron | 2009/07/17 04:30

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