■節子への挽歌681:エンディングという言葉
昨日の続きです。
私が「エンディング」という言葉に出会ったのは、2003年8月です。
節子が胃の摘出手術をした1年後でした。
大阪のNPO大蓮寺・エンディングを考える市民の会の事務局長の田中さんから相談があるのでということで、名古屋でお会いしました。
ホームページに記録が残っていますが、私は「エンディング」という言葉にかなりの違和感がありました。
言葉は、第三者と当事者では全く違った風景を生みだします。
そのことも田中さんに話しましたが、田中さんには伝わりませんでした。
エンディングノートという言葉を創りだしたのは、多分「つめたい心」の持ち主でしょう。
福祉の世界に少し関わって感ずるのは、そうした「つめたい心」で語る儲け主義者たちが少なくないことです。
哀しい話です。
その後、エンディングに関わる人たちに会うようになりました。
というよりも、すでに私の周りにはいろいろといたのですが、「エンディング」という言葉を意識したことで、そうした世界が見えてきたというべきかもしれません。
少し変わったところでは、コミュニティアートに取り組んでいる知人から、エンディングをテーマにしたイベントをやりたいと相談されたこともあります。
私自身の思いをぐっと押さえ込んで、協力することにしましたが、なぜかその後、音信が途絶えました。
私の本意が伝わってしまったのかもしれませんが、これも哀しい話です。
本意の奥には、さらなる本意があることは伝わらなかったのでしょう。
この挽歌を読んでくださっている方にはわかってもらえるかもしれませんが、エンディングという言葉は、愛しあう人の世界にはありません。
終わりのある愛などあるはずもないからです。
個体としての生命の終わりを克服するためにこそ、愛がある。
それが最近の私の心境です。
人は「死に向かって」生きているという人もいます。
私はやはり、人は「生」に向かって生きていると思いたいです。
生に向かって進み続け、そして次の生へと移っていく。
ですからエンディングなどないのです。
なにやら肩に力のはいった文章になってしまい、佐久間さんや嶋本さんが読んだら気を悪くしそうですね。
念のために言えば、私は佐久間さんや嶋本さんの本意を良く知っているつもりです。
お2人も、たぶん私の本意を知っていてくださいますので、安心して思いを書いてしまいました。
気を悪くされなければいいのですが。
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