■建設的野党―競争から共創へ
この時評編の基本的な視点の一つは、「競争から共創へ」です。
たとえば、「将来に信頼を持てない働き方でいいのか」で書いたように、競争原理の社会から共創原理の社会に変わっていけば、ずっと住みやすい社会になるでしょう。
しかし、ほとんどの人は「競争原理」は人間の本性と考えているようです。
そんなことはないと言い切る生物学者がいないのが、私には不思議です。
生命の本質は「競争」ではなく「共創」でなければ、こんなに長く生命は持続できなかったと思うのですが。
しかし、ダーウィンの淘汰説に惑わされて、弱肉強食や自然淘汰といった意味のない言葉(この言葉は単なるトートロジーで学問的価値のある言葉ではないはずです)に惑わされているわけです。
私は中学生の頃から、この概念は全く理解できませんでした。
なぜこんなことを書いたかといえば、民主党のマニフェストが手厳しく批判されているからです。
批判ではなく、そこから評価すべき点を学びあうことが大切ですが、競争の政治においては、相手をけなすことに勢力が向けられます。
前に書いたように、相手を批判することのほとんどは、自らの自己批判でしかないのです。
麻生首相や細田幹事長の民主党批判は、よく聞いていると自分のことを言っているのがよくわかります。
まあみんな自分のことは見えないもので、相手の中に自分を見出して批判するわけですから、ほとんどの場合が自己反省なのです。
相手をけなすよりも、一緒になって新しい価値を創りだすという、共創の政治に移るのはいつになるのでしょうか。
相手の政党の政策の良い所を認め合う姿勢がなければ、共創の政治は始まりません。
と思っていたら、日本共産党が「建設的野党」と言い出しました。
これに対しても評価はさまざまですが、私は「共創の政治」への希望を感じます。
競争に明け暮れる政治ではなく、共創に取り組む政治に移らなければ、事態は何も変わらないでしょう。
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