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2009/07/27

■物語報道

「強いられる死 自殺者三万人超の実相」という本を読みました。
読もうかどうか迷っていたのですが、自殺防止関係の活動に少しだけ関わっている以上、読んでおくべきかなと思ったのです。
読み始めて、やはり読まなければよかったと思いました。
でも結局は最後まで読んでしまいました。

読まなければ良かったと思ったのは、具体的な自殺者の物語が中心だったからです。
たしかに具体的な事例を知らないと問題の本質は見えてこないかもしれません。
しかし、他者の生活を覗き見しているような居心地の悪さと共に、作られた舞台を見せられているようで、どうも好きになりません。
同じことはテレビでも言えます。
自殺をテーマにした報道番組が最近多いのですが、どうもどこかに覗き見志向を感じてしまうことが少なくありません。
もっと違った報道の姿勢があるのではないかと思うわけです。

これは自殺問題に限りません。
報道に生々しさを出すためでしょうか、ヤミ金融やDV、あるいは振り込め詐欺なども具体的な事例の追跡レポートが増えています。
しかしどこかに「作為」を感じることもありますし、もしこれが本当ならば、報道するよりも警察に通報するべきではないかなどと思うこともあります。
事実、あとで「やらせ」だったことが判明することも、時にあります。

事件はいうまでもなく、それぞれみんな「表情」が違います。
それに事件には必ずドラマがあります。
報道の仕方で、いかようにも面白さはつけられるでしょう。
報道の目的は、そうした具体的な事例の物語を面白く描くことでしょうか。
しかし、そのためにむしろ問題の本質が見えなくなってくることも少なくありません。
事例は、「目的」ではなく「手段」です。
その手段が、あまりに詳細に興味本位でと思われるような取り上げ方が、私には気になります。
大切なのは事件の詳細ではなく、事件から学ぶべき問題の意味です。

こうした報道の姿勢は、テーマ報道に限った話ではありません。
個別の事件報道のニュースも、本来の意味に無関係な詳細すぎる報道姿勢を感じます。
こんなことまで報道しなくていいだろうと思うことが少なくありません。
事実の詳細を報道すればするほど、事実の意味が見えなくなることは、政治報道の分野を思い出せば、すぐわかるはずです。

「物語報道」という言葉は、勝手に私がつくったのですが、どうも報道においても「物語意識」が強すぎるような気がします。
生活が興味の対象になる、生活不在の時代になってきた現れの一つかもしれません。

ちなみに、冒頭の「強いられる死」ですが、だからどうすればいいのか、と言うメッセージが私には残念ながら伝わってきませんでした。
残ったのは、奇妙に後味の悪い気持ちでした。

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