■ボランティアとは権力や金銭に惑わされない姿勢
会社を辞めてNPOを創りました、という人が時々やってきます。
でもよくよく聞いてみると、会社で取り組んだ方がいいのではないかと思うようなことも少なくありません。
あえてNPO法人にしなくてもいいと思うことも多いですが、なぜかみんな法人格を目指します。
手段である法人格が、目的になっていることが少なくありません。
私は、法人格を取得することは純粋さの放棄だとさえ思っていますので、相談があってもよほどのことがなければ法人格取得は勧めません。
国家のお済付けをもらうような姿勢がある限り、現状維持のためのサブシステムにしか成れません。
そういう人は、ミッションが曖昧ですから、所詮は時間つぶしでしかありません。
「ボランティア」という言葉も、その使い方に違和感があります。
「ボランティアでやっています」という言葉は、「無償でやっています」という意味であることが多いようです。
そもそも「ボランティア」とは「自発的」という意味であって、無償かどうかは無関係のはずですが、日本ではどうも「無償=ボランティア」というイメージがあります。
ボランティアの人に謝礼をやろうとすると、怒る人がいるという話を聞いたことがあります。
そういう人もまた、お金を基準に考えているわけで、私には卑しい金銭主義者に見えます。
「ボランティア」という言葉を発する人は、現状維持のために奉仕しているだけなのかもしれません。
それは悪いことではなく、むしろ評価すべきだろうとは思いますが、私にはほとんど興味はありません。
その姿勢では、私的行為の世界を超えることはないからです。
以上は、私の独断的考えです。
ボランティアとかNPOとかに、どういう役割を見出すかは、人によって全く違うでしょう。
しかし、いずれの言葉もあまりに安直に使われている現状には反発を感じます。
だからあえて意地悪く、上記のように考えたくなるのです。
私の考えは、特異かもしれません。
ある本で、「ボランタリーということは、権力からも営利発想からも自由であるということだ」と読んで、とても共感しました。
それ以来、私のボランティアの定義は、権力や金銭に惑わされない姿勢ということにしています。
NPOに関しても、この考えを延長させて考えています。
政党も、広義にはNPOだといわれることがあります。
しかし、少なくとも日本の政党は、権力と金銭がその組織原理のすべてかもしれません。
国民もまたそれを受け容れています。
ですから、「友愛」という理念を打ち出した民主党をみんな馬鹿にしたのです。
友愛は、権力や金銭とは別の次元のものです。
しかし、今回の無様な政局の動きを見ていると、権力と金銭に呪縛された政治家の惨めさが良く見えてきます。
そして、その向こうに、権力と金銭に汚染されつつある市民活動の姿が見えてくるような気がします。
法人格の目指すところは、友愛に支えられたコンヴィヴィアルな世界ではないのです。
そんな組織に、未来は託せません。
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