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2009/07/05

■節子への挽歌672:「この世の無常を痛感します」

節子
節子の幼馴染みの雨森さんから久しぶりにメールが来ました。
実名を出してしまいましたが、許してくれるでしょう。
雨森さんは最近、健康のためにウォーキングを始めたそうです。
そのルートは、節子と私も何回かあるいた道で、その途中に節子の親元の家があるのです。
それで、その周辺の写真を送ってくれたのです。
そういえば、雨森さんは節子が元気だったころも定期的に故郷通信として写真を送ってきてくれていました。
節子はそれを楽しみにしていました。

たしか雨森さんは小学校の時の同級生です。
雨森さんの話は、私も節子から何回か聞いていました。
長年お付き合いが途絶えていたのが、なぜかある時から交流がまた始まりました。
闘病していた節子にとっては、幼馴染からのメールはきっと元気付けられるものがあったのです。
ところが、とても残念なことに、雨森さんの奥様も、節子と同じように病気が発見されてしまいました。
節子には衝撃的だっただろうと思います。
自分のような悲しさは他の人には体験させたくないと、節子はいつも言っていました。
ですから節子はとても雨森さんの奥さんのことを心配していました。
そういうところが、節子の不思議なところです。
自分のほうが重症な時でも、節子は他者のことを思いやることができる人でした。
節子から私が学んだ生き方の一つです。

ある年から実家に帰った時に、雨森ご夫妻と私たちは会食をするようになりました。
もっと続けられればよかったのですが、それはそう長くは続きませんでした。
最後に一緒に食事をした時は、たぶん私たちが雨森さんたちにご馳走になったような気がします。
そのお返しは、できずに終わりました。

節子がいなくなってから、雨森さんは私の挽歌を読んでいてくれるようです。
それでこういうメールが来たのです。

お元気のようでなによりです。
なぜお元気かわかるかといいますと、節ちゃんの挽歌を拝読しているからです。
7月3日で670回 すごいことですね。
難しい文章になってくると斜め読みして、最後は必ず節ちゃんのことにつながっているので最後は読みます。
確かに時には、難しいというか、支離滅裂な挽歌もあります。
にもかかわらず、読んでくださっている方がいることに感謝しなければいけません。
そういえば、娘の友だちも読んでくれているそうです。
昨日、電話があったそうです。
「薄情者」の私の娘自身は読んではいませんが。

雨森さんのメールの続きです。

3年連続日誌を書いているのですが、日誌の間から小さな紙がぽろっと落ちたので開いてみると、朝日新聞のひとときの「いいことだけ日記に」の切り取りでした。
やはり修さんがよく書かれているように早すぎですね。

「この日記を書き終えて、いつか「無罪放免になったわ」と、お世話になった人たちに電話しようと頑張っている」

この世の無常を痛感します。

思わず涙が出てきてしまいました。
正直に言えば、とまらなくなってしまいました。
本当にこの世は無常です。
久しぶりに、節子がいないのが嘘のように思えてなりません。
今も隣室で節子が雨森さんにメールを書いているような気がしてなりません。
できるものなら、時間を3年前に戻してほしいものです。
そこで歴史が止まっていたら、どんなによかったことでしょうか。

ちなみに、このメールをもらったのは7月3日です。
書こうかどうか迷っているうちに、5日になってしまいました。
今日、気づいたのですが、7月3日は節子の22回目の月命日でした。
その月命日の日に、雨森さんの日記帳から、「いいことだけ日記に」の切り抜きが落ちたのです。
節子がそうしたに違いないという気がして、2日も経過していましたが、書くことにしました。

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