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2009/07/12

■自分に与えられた任務を全うできないことを恥辱とする文化

「ローマ人にとって、自分に与えられた任務を全うできず、敗戦の責任者になることは、ローマ市民としては最も重い恥辱に他ならない。これが当時のローマ社会の常識であったのです。」

これは塩野七生さんの「ローマから日本が見える」に出てくる文章です。
自分に与えられた任務を全うできるかどうか、そして全うできない時にはどう身を処すか、それは武士道の国、恥の文化の国といわれた日本でも大きな問題でした。
そして、少し前まではこうした「社会の常識」があったように思います。
少なくとも私は、そうした文化の中で育ちましたので、政権を途中で投げ出した安倍さんや福田さんが、いまなお政治の世界にいること自体が理解できません。
政治家という職業がかつてのそれとは一変してしまっていることが、そのことでよくわかります。
しかも、その責任を投げ出した人が、次の首相にアドバイスまでしているのですから、何をかいわんやという気分です。
政治の世界は、いまや愚劣なテレビのバラエティのような世界になってしまっているのでしょうか。
事実、政治家はバラエティ番組によく出るほど出世しますし、バラエティ番組のタレントもまた政治家からも秋波を送られる存在です。
彼らのおかげで国民の政治への関心が高まったという人がいますが、そんなことで高まった関心がどこに向いていくかは、歴史が明確に示しています。

今日は都議選投票日です。
静岡知事選の時も書きましたが、もう結果は麻生首相とその取り巻きは知っているでしょう。
新聞記事によれば、最後にはしっかりと首相の責任を果たしたいお積りのようですので、まだ前任者たちよりは救いがありますが、問題はそれができるかどうかです。
もし本気でやる気があれば、結果が公表された時点で動くべきです。

今日は久しぶりにテレビの報道番組を見ようと思います。
今日初日の相撲は番狂わせなしのスタートです。
たぶん都議選も予想とおりでしょう。
野党が過半数をとるだろうと私は思っていますが、さてどうなるでしょうか。

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