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2009/07/23

■人の悪口を言う人に良い人はいない

今回のタイトルは私の生活基準のひとつです。
この奥には、もう一つ大きな基準があります。
それは「人は自分が持っているものしか気がつかない」というものです。
ここから出てくる、いくつかの系(下位命題)があるのですが、タイトルはその一つです。
同じ類のものに、「他者に対する批判はほとんどが自分に対する批判としても当てはまる」というのがあります。
だから、誰かの批判をしている人がいたら、それはその人(批判している本人)のことだと思うとだいたいに納得できるのです。
これらは、私が子どもの頃から感じていたもので、そのおかげで私は誰でも好きになれるようになったように思います。
どんな人にも、自分を見つけられるからです。

とても辛くて残念なのですが、この私の基準からすると、このブログで他者を結構口汚くののしっているのは、実は私自身に対するものということになります。
つまり、私もまた「良い人」ではないということであり、無責任で無道徳で、厚顔無恥で強欲で、無能で犯罪者で、・・・・いやはや嫌になりますね。
しかし、私の60年を超える人生体験からも、これは否定できない事実なのです。

とまあ、断った上で、今日はまた人の悪口を書きます。

日本の政界の話です。
どうしてみんな、こうも悪口ばかり言い合うのでしょうか。
謙信ではないですが、敵に塩を送るような政治家はいないのでしょうか。
私自身が、悪口を言っているのですから、こんなことを言うのはおかしいのですが、成熟社会における政治では「対立」ではなく「相互支援の共創」が望ましいです。
そろそろ「対立の政治」の概念から解放されてもいいような気がします。

日本人の文化から言っても、たぶん敵をけなすのではなく、たたえたほうが共感を得るかもしれませんし、第一、友愛を標榜しているのであれば、相手を許し、応援して当然です。
自信のある人や無私の人は悪口など言わないでしょう。
私がこのブログで悪口を言うのは、自らに自信がないのと私欲が強いからでしょう。
最近つくづくそう思います。

というわけで、このブログではこれからはできるだけ人の悪口を言わないようにしようと決意しました。
さて本当にできるでしょうか。
こえはたぶん「表現力」の問題です。
内容のない相手を褒めることは、最高の悪口に通じますので。

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