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2009/07/07

■ウイグルで起こっているのは「民衆の暴動」か「デモの暴圧」か

中国新疆(しんきょう)ウイグル自治区で5日に発生したでも暴圧事件は、予想されていたにもかかわらず、何の手も打てなかった国際社会の限界を象徴しています。
この問題に関しては、私はほとんど知識がありませんが、感覚的にその意味に対して関心があります。
これまでも少しだけ言及したことがありますが、まさに中国という国家の本質を示唆しているように思います。
あるいは、国家制度そのものの意味を考えるヒントが込められているというべきかもしれません。

今回の不幸な事件に関してはコメントは差し控えますが、多くのマスコミが「暴動」と報じているところに、大きな違和感をもちました。
そう表現する人たちの意識には、ウイグル民族を抑圧する意識が内在していると思うからです。
世界を表現する時に、どういう言葉を使うかは、その人の視座と価値観を表わしています。
私は、ここでは「デモ暴圧」と表現しましたが、ここにも私の視座と価値観が現われています。
世界を語る言葉は、すでにある世界観に呪縛されているわけです。
そして、それが異なると世界は全く違ったように見えるのでしょう。
「言葉」を使っている人間の宿命を感じます。
バベルの塔の完成に惧れを抱いた神の戦略は見事に成功したのです。

これはウイグル事件だけの話ではありません。
昨今のマスコミの言葉には、いろいろ違和感を持つことが少なくありません。
事実をしっかりと見据え伝えるというジャーナリズムの目が失われているような気がします。

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