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2009/07/04

■あんまり問題が多すぎて、思考停止したい気分です

人の慣れとは恐ろしいものです。
あれほど騒いでいた年金問題もかんぽ問題も、派遣切り問題も裁判員制度問題もいつの間にか静かになってきました。
散発的に話題にはなりますが、かつてのような「国民の怒り」はなくなりました。
こうして私たちは、さまざまな問題を勇ましく糾弾しながら、許してきたわけです。
そのことをどう考えればいいのでしょうか。
政府に問題解決能力がなくなったと考えるべきなのでしょうか。
いや、問題があまりにも多すぎて、問題が問題ではなくなったのかもしれません。

問題が解決されたと思っていても、ある時、突然また問題が噴出することがあります。
アスベスト問題が再燃した時には驚きました。
もう終わったかと思っていた熊本水俣病の認定問題もまだ終わっていないのです。
基本的な原則さえ決めれば、現場が問題を解決するというほど、問題が簡単でないことはわかりますが、どこかに仕組み上の欠陥があるような気がしてなりません。
仕組み上の欠陥を直すのは仕組みを直す方法もありますが、仕組みを構築する理念を見直すほうが効果的でしょう。
しかし、そう思う人はあまりいないようです。
これも、あまりに問題が多すぎるからでしょうか。

政策の財源問題が相変わらず議論されていますが、私には馬鹿げた議論のように思えます。
財源を問題にする人たちは、要するにお金を使うことが政策や事業と考えている人です。
財源があれば、サルでも善政はできるでしょう。
問題は財源ではありません。
何をやるか、本気でやるのか、です。
言い換えれば、ビジョンであり目指すべき社会の理念です。
それが国民に理解され支持されたら、その財源を得ることはそう難しくないでしょう。
発想の順番を間違えているのは、金銭至上主義におかされているからでしょうか。

問題が多すぎるのは、問題の設定の次元が間違っているからではないかと思います。
これは、自らの生き方においてもそうです。
私は最近、自らのビジョンや信条に迷いがあるため、過重な問題に潰されそうになっています。
今の日本の社会も、そうなのかもしれないと、ふと思いました。

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