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2009/07/25

■節子への挽歌692:人は幸せになる権利はあるが、人を不幸にする権利はない

節子
今日は、自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
今回はテーマなしで、気楽に話し合ったのですが、とても刺激的で本質的な話し合いになったような気がします。
いつものように多彩なメンバーでしたし。

初めて参加した「若い僧侶」(もっとも彼は今は全く違う仕事をしています)が、「なぜ死んではいけないのか」という根本的な問題提起をしたのです。
いろいろと意見が出ましたが、ある人が「人には幸せになる権利がある」と言われて、死んではいけないことに気がついたと話しました。
彼女は、自らもまた自殺を試みたことのある女性です。

その言葉に刺激されて、ついつい私も話してしまいました。
節子のことを、です。
一人の人が亡くなると、周りの人たちがどれほど不幸になることか。
人は幸せになる権利はあるが、人を不幸にする権利はない、だから死んではいけないのだと話してしまったのです。
話しおわった後、話さなければよかったと思いました。
話してしまうとなにか私の実感とは違うものになってしまうのです。

おそらく同じ体験をした人でなければ意味がわかってもらえないでしょう。
私は、コムケアの活動を通してさまざまな福祉活動に関わってきましたが、当事者と支援者との微妙な気持ちの違いが、このころとても強く感じるのです。
いわば、彼岸と此岸の違いですが、最近、私自身が彼岸に来ているのを実感します。
自らの弱さに気づいた時に初めて、人は強くなれるのかもしれません。

初対面の人もいる人たちの前で(節子を知っている人は一人しかいませんでした)、節子の話をしたのは、もしかしたら初めてかもしれません。
もちろん妻を見送ったとしか話しませんでしたが、あやうくまた涙が出そうでした。
やはり人前で節子の話をするのはタブーにしなければいけません。

節子
私を不幸にさせないために、節子がどんなにがんばったか、よくわかっています。
生きるために、節子が壮絶な時間を過ごしてくれたことを私は決して忘れません。
それに、私を不幸にしてしまいましたが、それを数倍上回る幸せを節子は私に与えてくれましたので、相対的にいえば今も私は幸せです。
でも幸せでなくてもいいから、やはり節子がいたほうがいい、というのが本音ではありますが。

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