■節子への挽歌682:季節の移ろいに感動しなくなっています
節子
梅雨があけて、今日はまさに夏到来です。
空の色が変わりました。
節子がいなくなってから、私はもちろんですが、わが家から「季節」の感覚がなくなっています。
時間が止まったわけではないのですが、季節を楽しむ気分が薄れてしまっているのです。
しかし、去年に比べれば、今年はだいぶ違います。
今年は、わが家にも「夏」がくるかもしれません。
節子は、季節の変わり目を感じさせる小さな工夫が好きでした。
室内のインテリアも、季節によって気づかないうちに替わっていました。
それに気づいて、季節の到来に気づいたこともありました。
その文化は、娘たちに今も引き継がれています。
夏が来たので、私の仕事部屋の窓のところに、朝顔のプランターを持ってきました。
この挽歌にも出てきたことのある根本さんが、昨年、自分の部屋の窓のところに蒔いたタネをお裾分けしてくれたので、根本さんの指示通り蒔いていたのです。
忘れていたため、ちょっと遅れましたが、順調に育っています。
わが家は、節子も私も、むすめたちも冷房が好きではないので、家族のゾーンである2階にはクーラーはないのです。
今年は、この朝顔が日除けになってくれるでしょう。
節子がいたら、気づかないうちに、やってくれたでしょうが、今年は自分で朝顔が伸びていけるように紐を張りました。
水やりを忘れないようにしなければいけません。
季節の移ろいを一緒に楽しむ人がいなくなってしまうと、季節の意味も大きく変わってしまうものです。
どんな夏になるのでしょうか。
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