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2009/07/18

■節子への挽歌685:心の安定

maronさんが早速、挽歌に呼応するようにコメントを投稿してくれました。
重複してしまいますが、とても共感できる文章なので、転載させてもらいます。

私はとても良い人々に恵まれて生きてきたのだと思います。
心の中で、頼り切って、何時も私のそばに居てくれるものだと思っていた人々との分かれ、会者定離の世と知りながら不条理と嘆きました。 
私が自由に良い人生を過ごせたのはその人々のお陰です。
故人が私にしてくれたように、私も人々に安心と笑顔を与えてあげられたらと思います。
今日も事故で脊椎を痛めた友人を見舞って帰ると直ぐ知人が待っていました。 
コーヒーを入れてお話をききました。
心の安定を失う人の多い世の中です。
私の身体が続き、心が萎えない限り、周りの人々の盾になりたいと思っています。
それは人生を知ること、自分の生の確認でもあると思っています。
なんだか私自身の文章を読んでいるような気がしました。
私もとても似たような生活をしています。

節子が隣にいた時には、私の心は常に安定していました。
しかし、節子がいなくなった途端にその安定を失いました。
心の安定を失うと、活動が持続できなくなります。
気が萎えてしまい、突然にすべてを止めたくなるのです。
いまでも心が揺らぐことはないわけではないのですが、活動は持続できるようになりましたし、maronさんのように人の相談にも乗れるようになりました。
私にとっては、唯一の頼り切れる存在だった節子がいなくなったままなのに、なぜ心が安定してきたのか。

maronさんのコメントを読んでいて、その答に気づきました。

私には、節子という、頼り切れる伴侶がいました。
しかし、本当に節子は頼りになったのでしょうか。
それはかなり疑問です。
にもかかわらず、節子がいるおかげで、私はいつも安心でした。
なぜでしょうか。
それは、私が節子に頼り切られる存在だったからです。
もちろん、節子と同じように、私も節子にとって本当に頼れる存在だったかどうかは疑問です。
しかし、私は頼り切られていたという確信がありました。
節子に何か問題が起これば、命を捨ててでも節子を守るだろうという確信です。
それは実際には実現できなかったのですが。

頼ると頼られるは、双方向的な関係なのです。
言い換えれば同値と言っても良いでしょう。
よく言われるように、ケアと同じ概念です。

私が最近、心の安定を得られだしたのは、頼られているという実感を回復したからなのです。
頼れる人が、一人でもいれば、心は安定します。
そして、頼ってくる人が一人でもいれば、心が安定します。
そのことに、maronさんのコメントは気づかせてくれました。

文句を言わずに、明日もまた相談を受けに出かけて行くことにしましょう。
私のために、頼ってきてくれる人がいることの幸せを疎かにしてはいけません。

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