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2009/07/17

■節子への挽歌684:生きるということの意義

maronさんからまたコメントをもらいましたが、最後にこう書いてありました。

様々な人を失い、生きると言う事の意義も考えました。
節子との別れを体験するまで、私は「生きる」ことをしっかりと意識したことがありませんでした。
両親をはじめ、親しい人を何人も見送りましたし、親しい友人も見送りました。
私より若い友人の突然死も2回経験しましたし、自死した友人もいました。
衝撃的な別れもありますし、自分の人生を変えてしまう別れもあります。
しかし、私は人の死に関しては、かなり淡白でした。
たぶん人の死で心底泣いたことはありません。
同時に、生きることについても、淡白でした。
貪欲に生きようなどと思ったことはありません。
人の生き死には、定められているというような思いがどこかにあります。
ですから自分の生死に関しても、さほどこだわりはないのです。

とまあ、そんなふうに考えていたのですが、
節子に関しては、淡白どころではなく、取り乱すほどでした。
もちろん、心底、涙しました。
涙が枯れるという言葉がありますが、枯れることなどなく、いまもいつでも涙は出ます。

そうした体験の中で、私が生死に淡白でいられたのは、節子のおかげだったと気づいたのです。
すべての生死を、節子が引き取ってくれていたのです。
両親を見送った時、支えてくれたのは節子です。
節子がそばにいたからこそ、両親の死を私は冷静に受け止められました。
親しい友人の死は、節子に話すことで心を落ち着かせられました。
私の哀しさも喜びも、辛さも後悔も、すべて節子が引き取ってくれていたのです。

そういえば、節子と一緒に暮らすようになるまで、私はむしろ生死には敏感だったような気がします。
私は、気の弱い子どもでした。
戦後、わが家は新潟の父の実家に疎開していました。
食糧難の時代でしたが、当時、疎開先ではウサギを食料用に飼っていました。
そのウサギを殺すのを止めてくれと、私が泣きながら父に頼んだ話を母が節子や娘たちに話してしまったので、私の気の弱さはみんなの知るところになってしまいました。
家族でエジプトに行った時にも、鳩料理は私だけ辞退させてもらいました。
子どもの頃から、生命にはある種の畏れを感じていたのです。

そうした気弱な私が、生死に対して動じなくなったのは、間違いなく、節子と一緒になってからです。
なぜでしょうか。
私のすべての人生を節子に託すことで、そうした私の最も弱いところから抜け出られたのかもしれません。
以来、誰がいなくなろうと、私には節子がいたのです。
生きるとか死という問題から解放されれば、人は思い切りわがままになれます。
そして、本来ならば、このまま私は静かに生きることを終えられるはずでした。

節子がいなくなった今、生きることの哀しさや退屈さに、押しつぶされそうになることがあります。
幸いに娘たちがいますので、少しは緩和されますが、残念ながら節子と違って、私の生死を引き取ってもらうわけにはいきません。

maronさんが考える「生きるということの意義」とはどんなものでしょうか。
訊いてみたいようでもあり、みたくないようでもある、気になる言葉です。

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妻への挽歌04」カテゴリの記事

コメント

私はとても良い人々に恵まれて生きてきたのだと思います。
心の中で、頼り切って、何時も私のそばに居てくれるものだと思っていた人々との分かれ、会者定離の世と知りながら不条理と嘆きました。 私が自由に良い人生を過ごせたのはその人々のお陰です。
故人が私にしてくれたように、私も人々に安心と笑顔を与えてあげられたらと思います。
今日も事故で脊椎を痛めた友人を見舞って帰ると直ぐ知人が待っていました。 コーヒーを入れてお話をききました。
心の安定を失う人の多い世の中です。私の身体が続き、心が萎えない限り、周りの人々の盾になりたいと思っています。それは人生を知ること、自分の生の確認でもあると思っています。

投稿: maron | 2009/07/18 04:24

maronさんのおっしゃる 生きるということの意義を
私も聞いてみたいです。
それはご自分で考えること とおっしゃいそうな気もしますが 可能なら ぜひ!

わずか数十年しかいられない この世ってなんだろう と よく考えます。
我孫子のギタリストより

投稿: 宮内俊郎 | 2009/07/18 11:01

maronさん
ありがとうございます。

生きる意義は、自らの外にあるということですね。
とても共感できます。

投稿: 佐藤修 | 2009/07/18 11:05

我孫子のギタリストさんへ
数十年しか生きられない人生と書いておられますが、未開人は過去と現在しか実感していないから、未来は知識の中になく、未来の概念はおそらく無いと思います。それに比べて現代人は未来の為に規制する事が多すぎます。
しかし果たして未来は有るのでしょうか。 老若の別なく明日の命は解らないのです。 今一瞬、一瞬を大切に生きるしかないような気がします。宇宙の命から考えると永遠は一瞬ですが、人間は一瞬に永遠を感ずることも出来ます。。ギターは貴方の心と呼応して素晴らしい音色を奏でるでしょう。
精一杯今を生きましょう。

投稿: maron | 2009/07/21 02:49

maronさん 返信ありがとうございます。
今 自分の目に映る 全てが輝いて見えます。短い人生、この人と今こうして会話をしている。
この人の この姿を見ている。 この野菜の輝く朝露を見ている。 この時間 この場所。
その時 その時が とても貴重に思えます。 二度とないだろうこの一瞬の連続を生きています。
最近 足るを知る という言葉が好きです。

宇宙と繋がっているギタリストより。

投稿: 宮内 俊郎 | 2009/07/25 01:16

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