■選挙とは何のためにあるのか
もう10年近く前になると思いますが、友人が東京都のある区の区議会選挙に立候補しました。
彼は以前から政治に興味を持っており、勉強会などにも参加していましたし、しっかりした意見も持っていました。
それでささやかに応援させてもらうことにしました。
私にとっては初めての体験でしたが、彼の街頭応援演説にも同行させてもらいました。
街頭演説と言うものが、勇気のいるものだということを体感しました。
私の友人にも応援を頼みました。
ところが、彼自身は何でもかでも当選したいと思っていなかったのです。
もちろん当選を目指しましたが、彼にとって大切だったのは区政への問題提起だったのです。
そのため応援した人たちからは、本気で当選しようとしていないのではないかという批判が生まれました。
結果として、彼は当選しませんでした。
その次の選挙にも立候補しましたが、この時はある党の公認をもらい、その気になれば多分当選できたと思うのですが、彼はどうも「その気」にならずに、わずかの差で落選しました。
この体験は、私にはとても考えさせられるものでした。
選挙に出たら当選しなければ意味がない、と私の友人たちは一様にいいます。
でもそうでしょうか。
選挙とは「当選」が目的でしょうか、さまざまな意見を出し合って「選択」することが目的でしょうか。
私は後者だと思っていますので、当選しなくても立候補した意味は十分にあると思います。
ですから、彼がまた立候補したら応援させてもらうつもりです。
静岡県知事の選挙は、私が想定した通りになりました。
私の関心事は、誰が当選するかではありません。
投票率と自民党候補への投票数に関心がありました。
川勝さんが負けるかもしれないとは思っていましたが、自民党支持は大きく減少すると思っていました。
不幸にして民主党支持は実質的に2人に分裂していましたが、最後の土壇場で鳩山さんが公認を絞ったのが影響して、川勝さんは当選しました。
もし、自民党政治を本気で終わらせたいと思っていたら、野党が連携して、立候補者を一人に絞り込んだら、多くのところで自民党は敗退するでしょう。
そうならないのは、選挙とは「当選」が目的ではないということの現われではないかと思います。
選挙は、勝ち負けだけの「競争」ではないのです。
都議選も含めて、民主党支持者の当選者が多くなると、自民党は解散できないのではないかという議論が大勢です。
しかしここには大きな矛盾があります。
政府支持者が少なくなればなるほど、政府は選挙をしなくなる。
どう考えてもおかしな話です。
いったい何のための選挙なのでしょうか。
軍政国家の選挙とどこが違うのでしょうか。
そのおかしさを、だれも問題にしません。
政府を乗っ取られても誰も異議申し立てしないマスコミは、もはや言論の自由を捨ててしまった存在でしかありません。
テレビの報道を見ていると、毎日、嘔吐感さえ感じます。
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