■節子への挽歌683:朝の畑仕事
節子
朝早く起きたので、畑に行ってきました。
と言っても、最近は誰も手入れに行かないので雑草があふれかえっています。
今日は暑いので、早朝の30分だけ草刈をしました。
いつかのように、倒れると悪いので30分で止めました。
節子が元気だったころは時々節子と一緒に来ていましたが、私の取り組み方は節子には気にいらないものでした。
たとえば雑草刈りにしても、私はまずは大きなものを刈り取りましたが、節子は場所を限定して少しずつしっかりと雑草をなくしていきました。
私のやり方だと、やったかどうかもわかりませんし、第一、単に荒らした感じで終わった後の達成感がありません。
それに目標設定が曖昧になりますので、いつでもやめられるのです。
節子の場合は、最初にきちんと今日はこの区画と決めますので、途中ではやめられず、しかしやった後は達成感を味わえます。
下の娘が節子のやり方を継承し、上の娘がわたしのやり方を継承しています。
これは単に雑草刈りだけの話ではなく、生き方そのものにつながっています。
修はすぐに飽きてしまうのと、後片付けをしないので、手伝ってもらわない方がいい、と節子は言っていましたが、それはその人の性格なので仕方がありません。
どうせまた明日やるのならば、片付けることもないだろうというのが、私の文化でした。
これが、節子や下の娘には気にいらないのです。
さて、今朝は一人で畑に行きました。
最初からがんばると1日で終わるおそれがあるので、今日は30分で、しかも適当にやって戻ってきました。
その畑地はわが家から見下ろせる場所にあるのですが、戻ってきて上から見たら、何の変化も感じられませんでした。
それほど雑草が凄いのです。
まあ気分的にいろんなところを少し荒らしてきただけという感じです。
節子がいたら、きっと笑うでしょう。
私の30分の努力は報われていないのです。
しかしまあ、このやり方を少し続けましょう。
1週間続ければ、少しは地面が見えてくるかもしれません。
節子は、土いじりが好きでした。
この畑は宅地の空地ですので、土壌がよくありませんでした。
それを節子と下の娘が開拓し、土壌をよくしました。
節子は道沿いに花壇をつくって、散歩する人に楽しんでもらおうと考えていました。
畑ではじゃがいもをつくって、近くの子どもたちと一緒に芋ほりをして、カレーライスパーティをしようと思っていました。
そのためにがんばっていたのです。
そんなことを思い出したら、少し私もがんばろうと思い出しました。
もっとも、節子のやり方ではなく、私のやり方で、ですが。
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コメント
草は引いても引いても生えてきます。折角植えたパセリやセロリも一寸見ない間に消えてしまいました。悪果(悪貨)は良果(良貨)を駆逐する。本当に厭になります。
大きい鉢に植えていたトマトだけが毎日朝食に色を添えます。
見かねた夫が芝生の草を引いてくれます。節子様のように端から順番に引いてゆきます。性格は変えられないものですね。
私は草ボウボウの庭のテーブルで本を読むのが好きです。夫は書斎のデスクで読みます。私は自然の拡がりが好きなのです。
投稿: maron | 2009/07/17 03:56