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2009/07/16

■背広を着ることの意味

今日、私よりもかなり若い知人が相談にやってきました。
彼は自分で会社を起こし、その社長なのですが、誠実を絵に書いたような人なのです。
私のところに来る時でさえも、背広でやってきます。
今日は真夏のような暑さでしたが、やはり背広を着てきました。
私のところに来る時には、気楽でいいからと話しましたが、彼にとって私は二回りも年上なので、礼を失してはいけないと思っているのです。

最近、私はめったに背広を来ませんが、それでも時々着ることがあります。
会う人や行く場所によって、服装を変えるのはおかしいのではないかと思いながらも、自然とそうしてしまいます。
背広を着るのと着ないのと基準は何でしょうか。
そこに、自分の生き方や価値観が現れており、自分の小賢しさを知ることができます。

自分が何を着ているかで言動は変わります。
ですから、長年、着ているものによって人間の生き方や価値観は決まっていくはずです。
小学生の頃、たしか佐藤紅録の小説だったと思うのですが、こんな文章がありました。

昔の日本の男はふんどしで下半身を締めていたが、最近の男たちはネクタイで首を絞めているから、根性がなくなったのだ。
子どもながらに、とても納得しました。
私は、ふんどしをしたことはありませんが、ネクタイだけはしないでしようと思っていました。
しかし、会社に入る頃には、そんなことはすっかり忘れてしまっていました。
そんなわけで、私は根性のない大人になってしまったわけです。
いや、子どもの頃から,あんまり根性はなかったですが。

話がそれてしまいましたが、服装は意識に大きな影響を与えます。
和服を着ていた時の日本人と洋服になじんでしまった日本人とは、たぶんかなりの違いがあることでしょう。

私は最近、Tシャツでオフィに行くことも少なくありません。
自宅とオフィスでは、ほとんど、同じ服装をしています。
生活にメリハリがなくなってしまったのは、そのせいかもしれません。
やはり仕事をするのであれば、背広をきちんと着るべきなのでしょうか。
最近、企業の仕事に縁遠くなったのは、そのせいかもしれません。困ったものです。

日本の社会をおかしくした一因は服装にある、というようなことを書くつもりだったのですが、まあそんな偉そうなことをいう前に、自分の服装を点検すべきですね。

今日もまた、意味のないことを書いてしまいました。
政治の話を書くと何を書くかわからないので、しばらく政治時評は避けたいと思っているのです。
はい。

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