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2009/07/30

■人はなぜ集まるのか

昨日、支え合いをテーマにして続けているサロンをやりました。
ある程度のテーマを決めて、予め頼んだ人に最初に話題提供をしてもらいますが、あとは自由に話し合うだけの、気楽なサロンです。
会費も500円もとられてしまいます。
まあ、払える人だけでいいのですが、忘れてしまう人は別にして、みんな払ってくれます。
なかにはビールまで持ってくる人もいます。
昨日は15人も集まりました。

私はサロンが好きですから、この20年、こういう集まりをいろいろやっていますが、時々、ふと思うことがあります。
みんなどうして集まってくるのだろうか、と。

まあ、こんなことを言うと、実も蓋もなくなってしまいますが、これが私の昔からの疑問です。
一時期、サロンをやめていた時期がありますが、いろんな人から再開の希望が伝わってきました。
なぜ人は集まりたがるのか、いや、集まるのか。

ホスト役の私も、時々、思うことがあります。
なんでこんなサロンをわざわざ開くのだろうか、と。
準備もそれなりにしないといけませんし、一応、ホスト役だと気遣いもあります。
果たしてどういう意味があるのかなと思うこともあります。
もうやりたくないなと思うこともしばしばですが、気がついてみると、またサロンを呼びかけているのです。
意味もなく集まって、意味もなく話すのが、もしかしたら人の習性かもしれません。

今日はこれから福井まで、まあサロンの延長ではないかとも思われる集まりに出かけます。
しかも、夜行の自動車で行くのです。
この歳で夜行の自動車は疲れるのでやめたほうがいいとみんなから言われましたが、明日、新幹線で一人で行くよりは、同行者がいるほうが楽しいかなと、ついつい思ってしまったのです。
しかし、同行者は、このブログの読者であれば、知る人ぞ知るミスターdaxです。
彼の運転で行くのです。
福井に辿りつくかどうか心配です。
天気もあまりよくありません。

私は自分の運転でない自動車の長旅は好きではありません。
自分の生命を預けることになるからです。
私自身、運転をやめてから10年以上たちますが、自分の生命を預ける他者の運転の自動車の長旅は好きではありません。
例外は女房と娘で、彼らであれば、自分の生命を預けても何の不安はありません。
今回は、生まれて初めての例外です。
しかし、初めて生命を預けるのがミスターdaxとは、これまた奇妙な話です。
付き合いも長いわけではありません。
なぜミスターdaxの誘いを受けたのか、自分でもわかりません。
わかっているのは、結局は、1人より2人、2人より大勢のほうが楽しい、ということだけです。
ミスターdaxとの旅は楽しいでしょうか。
もしかしたら、これでこのブログは最後かもしれません。
長いこと読んでいただき、ありがとうございました。
このブログが今日で終わっていたら、それはミスターdaxの責任です。
いやはや遺書めいてきましたね。
困ったものです。
そろそろ出かけます。

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