■節子への挽歌719:私と結婚しなければもっと幸せになれたのではないか
節子
節子もよく知っているIさんに電話をしたら、出張で奥さんが出ました。
久しぶりに奥さんと話しました。
節子は奥さんには会っていませんが、手紙でのやりとりは何回かあったはずです。
私たちと同じく、とても仲のよいご夫妻です。
闘病中の私たちをいつも気遣ってくれていたご夫妻です。
ところが、この数年、奥さんの体調があまりよくないのです。
心配していたのですが、元気そうな声で安心しました。
が、電話の声では実は安心できません。
節子もそうでしたが、電話の声だけは元気になることもあるのです。
それはともかく、話しているうちに、彼女がこんなことをいいました。
こんな身体の弱い私と結婚しなければ、彼はもっと幸せになれたのではないか。ドキッとしました。
節子も、そういうことを言ったことを思い出したからです。
良いこともあり、悪いこともあって、夫婦です。
そして苦楽を共にできることの幸せこそが、夫婦の喜びかもしれません。
夫婦になった以上、相手にどのような心配や負担をかけようとも、負い目に感ずることはありません。
それに、喜びを共にするのも、辛さや悲しみを共にするのも、もしかしたら同じことなのかもしれません。
節子との暮らしのなかで、そしていなくなった節子と暮らすなかで、そう考えるようになってきています。
共にするのは「喜び」であってほしいとみんな思うでしょうし、私もそう思いますが、それ以上に大切なのは、お互いにどれだけ深く相手と世界を共有できるかです。
節子の辛さや悲しみを私がどれほどシェアしたか、あまり自信はないのですが、節子の辛さや悲しさを少しでも分かち合えたことは、私には大きな支えです。
それに、辛さや悲しさをシェアしている時には、その相手に自らのすべてを向けています。
Iさんの奥さんが言うようなことなど思いつくこともないのです。
でもIさんの奥さんも節子もそう思ってしまうのです。
その言葉に対するIさんの反応は、どうも節子に対する私の反応と同じだったようです。
電話で話しながら、2人が元気だった時に出会えれば、きっといい友だちになれただろうなと思いました。
節子
そっちに行くのがやはり少し早すぎましたね。
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