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2009/08/23

■地方分権の欺瞞性

選挙を目指しての政治議論が盛んですが、やはり批判合戦が多く、政党代表の議論を聞いていても、虚しさだけが響いてきます。
今回の最大の論点は「政権交代」ですが、タレント政治家の東国原さんと橋下さんの活躍もあって、「地方分権」も大きな論点とされています。
しかし、地方分権がなぜいいのかという議論はあまりありません。
4年前の郵政民営化がなぜいいのかがしっかりと吟味されなかったことと非常に似ています。

私は、現在進められているようなかたちでの地方分権には違和感があります。
そもそもこの10年の地方分権は、団体自治という面での取り組みでしたから、国との関係において、その出先機関である地方自治体(地方行政)の権限をどこまで認めるかと言う発想でした。
これは中央集権体制の改善策でしかありません。

宮崎県知事や大阪府知事が主張しているのは、要するに国と都道府県との権力闘争でしかありません。
そこには、肝心の住民は不在と言っていいでしょう。
知事たちの反乱と住民たちの反乱は、似て非なるものなのです。
大阪の橋下知事は県政に変化を起こしたようにも見えますが、宮崎県の東国原知事はおそらく県政にはマイナスの影響を残すことになりかねません。
おそらく10年後には宮崎県の人たちも気がつくでしょう。

民主党は、地域主権を標榜しています。
ここには住民自治の発想があると期待しますが、全国知事会の要請に迎合するような姿勢にはいささか失望してしまいました。
大切なのは「地方分権」ではなく「地域自治」ではないかと思いますが、自治を標榜する人はあまりいません。
自治を基本にする社会を目指すのか、分権によって統治する社会を目指すのかは、全く違った国の姿や財政制度を求めていくでしょう。
自治を基本とすれば、財政規模はおそらく桁違いに縮減できるはずです。
そうしたパラダイム転換が必要な時期に来ていると思いますが、行政の継続性などという表層的な言葉で、そうした発想は切り捨てられていくことが予想されます。
そうして社会はいつかカタストロフィーを迎えるわけです。

「地方分権」は一つの例です。
今回の個別争点の多くは、もっと言葉を吟味しないと危険です。
なにしろ環境政策とは、時に環境市場化政策であるというのが昨今の日本なのですから。

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