■節子への挽歌700:「節っちゃんはきつかったね」
福井に来た帰りに、敦賀にいる節子の姉夫婦の家に寄りました。
節子と一緒に、年に1~2回は私もお世話になっていました。
西と東に別れていましたので、若い頃はなかなか会う機会も少なかったのですが、それぞれが子育ちから解放され、仕事からも解放されるにつれて、節子たち姉妹の交流は増えてきていました。
性格はかなり違うように思いますが、仲の良い姉妹でした。
和食のお店を予約していてくれたのですが、節子の気に入りそうなお店でした。
魚三昧でしたが、とても美味しい鯛の兜煮が出ました。
節子は金目鯛の煮物が大好きでしたが、私がそう思っていたら、やはりその話になりました。
みんな思うことは同じなのでしょう。
義兄が「節っちゃんはきつかったね」といいました。
姉が、「私にはとても言えないことを言ってくれていた」と同調しました。
知らない人が聴いたら、節子の悪口に聞こえるかもしれませんが、そうではありません。
節子は、自分の身内や関係者には遠慮せずに物言う人だったという意味です。
まあいつもは遠くにいるので、言えたという面もありましたが、節子は思ったことをわりとはっきりと言う人でした。
身内だけではありません。
たとえば、近所に悪さをする子供がいれば注意するということもありました。
もっとも誰にでも言えたわけではなく、私の関係の親戚や友人にはほとんど何も言いませんでした。
その理由は簡単で、私のほうが「きつかったから」です。
後で、節子から言いすぎだと怒られることはしばしばでした。
しかし、その一方で、相手の親族や友人には、逆にかなり寛容で受容的でした。
ですから、節子はわが両親からは「良い嫁」であり、私は節子の両親からは「良い婿」だったのです。
念のために言えば、「仮面」をかぶって装っていたのではありません。
身内に厳しいことと、他者に優しいこととは、同じコインの裏表です。
そして、そうした生き方が、とても生きやすい生き方であることを私たちはよく知っていました。
そうした点で、私たちは「似た者夫婦」だったわけです。
どちらかがどちらかに影響を与えたのではなく、最初からそうした性格でした。
鯛の兜煮を食べながら、そんなことを思っていました。
それにしても美味しい兜煮でした。
福井県のJR敦賀駅の商店街にある「建」というお店だったと思います。
節子が戻ってきたら、連れて行きたいと思います。
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