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2009/08/22

■最高裁判事の国民審査に先立って

先日、NHKのBS放送で「ニュールンベルク裁判」が放映されました。
その関係で、「ヤニング」などという検索ワードで、このブログへのアクセスが増えていました。
この映画は大きなメッセージを出している映画で、多くの人に観てほしいですが、こうした映画が少なくなったように思います。

この映画で、検事と弁護士がやりあう場面で、「裁判官は国家を守るべきか、国民を守るべきか」という議論が出てきます。
国家を守るのも国民を守るのも同じではないかと思う人もいるでしょうが、これは全く正反対の発想です。
ちなみに、このブログの時評編の根底にある考えは、まさにその違いから出ています。
組織起点で発想するか、個人起点で発すするかの違いですが、いま、その社会の構成原理がパラダイム転換しようとしていると考えているのが私です。

8月30日の衆議院選挙に合わせて、最高裁判事の国民審査が行われます。
おそらくほとんどの人は、これに関してはあまりしっかりと考えていないでしょう。
しかし、ある意味では、国民生活から考えれば、こちらの方にこそ大きな意味があるともいえます。
映画「ニュールンベルク裁判」は、そのことも示唆しています。

審査の対象になる判事の言動は、ほとんどの人は知らないでしょう。
私自身もほとんど知りません。
しかし幸いにそれぞれの判事のこれまでの判決姿勢や発言などを簡単に整理してくれているサイトがあります。
Matimulog―北の国から見る法・裁判・民事、そしてサイバー法というサイトに、「vote:最高裁判事の国民審査下調べ」という記事が出ています。
ぜひお読みください。

今朝の朝日新聞に、今年1月に最高裁判事を辞めた泉徳治さんのインタビュー記事が大きく出ています。
そこで泉さんはこう発言しています。

「日本に『和をもって貴しとなす』という言葉があるように、裁判官の間では伝統的に、自分の個性を出さないで判断するのがよいと考えられてきました。これまでの判例の枠の中で答えを出すことが、法的な安定性、公平性につながるという考えが根強いのです」
ここにまさに、日本の司法の根本理念が感じられます。
その記事でも触れられていますが、裁判官出身の最高裁判事(比率的には一番多い)は、違憲判断することが少ないと指摘されていますが、それは憲法解釈の視座を国家(政府)においているからです。
つまり「勝てば官軍」の精神があるのです。
その精神が法治原則の対極にある考えであることはいうまでもありません。

8月30日の選挙では、国民審査も重視してほしいと思います。
なかには、いつも全員×にしているという人もいますが、それでは全員○と同じ効果しか持ちません。
審査には、それなりの汗をかかなくてはいけません。

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