■「会話が成立していないことに対する鈍感さ」
タイトルは、このブログも読んでくださっている福岡の西川さんの言葉です。
心しなければいけないという自戒の言葉として、この言葉に出会ってから日に何回かは心の中で反復するようにしていますが、これは情報社会の落とし穴かもしれません。
私だけではなく、多くの人が、その鈍感さに陥っているような気がします。
西川さんがこの言葉を送ってきてくれた契機はちょっとした事件のおかげです。
西川さんをある人に紹介させてもらい、2人の間でメールのやりとりが始まりました。
ところがしばらくして、紹介した人から西川さんからの返信がないのだがという連絡がありました。
西川さんから、その人への返信の一部は私にもCCで入っていたので、そんなはずはないと不思議に思いながらも西川さんに確認したら、メールのやりとりがどうもかみ合っていない気がしているというのです。
調べてみたら、紹介した人のパソコンが、なぜか西川さんからのメールを迷惑メール扱いにして受信排除していたのです。
しかし、お互いにそれに気づかずに、それぞれにメールしていたのです。
海外との交流だったこともあり、お互いにおかしいと思いながらもやり過ごしてしまっていたわけです。
実は、私も同じような体験を最近2回しています。
1回は私が受信排除、1回は相手が受信排除で、トラブルが起こりそうになった体験です。
たしかに、メールは相手に必ず届いているとは限りません。
西川さんはこう書いてきました。
相手からメールが来ます。そして、
私が返信します。
コミュニケーションが成立しているという前提に立っています。
良く考えてみれば、当然、色々な原因で相手に届いていない場合があるのですね。
(中略)
超近代のマシーンで、言語や文字だけで、コミュニケーションが成立していると思い込んでしまうことに、危うさがあるなと思いました。
そういう意味で、改めて振り返ると、と書いてきました。
「会話が成立していないことに対する鈍感さ」を痛感しています。
もう30年ほど前になりますが、「非情報化革命論」というのを書いたことがありますが、情報社会はどうやら大きな落とし穴を用意しているようです。
会話が成立していないのに成立していると思い込んでしまうことに注意しなければいけません。
今日は衆議院選挙です。
この選挙でも、多くの人たちが「会話が成立していないことに対する鈍感さ」のなかで悲喜劇を重ねているのかもしれません。
せめて新しくできる政府には、国民との「会話が成立していないことに対する鈍感さ」だけには気をつけてもらいたいと思いますが、あまり期待できないでしょう。
もしかしたら、情報社会とは会話が成立しないことを特徴とする社会なのかもしれません。
この数日、この言葉を反芻しているうちに、何だかそんな気がしてきました。
蛇足ですが、皆さんも一度、迷惑メールボックスを調べてみたらどうでしょうか。
私は毎週、1~2件、誤って迷惑メール処理されているメールを発見します。
パソコンは、時に恣意的に反逆もするものです。
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