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2009/08/13

■節子への挽歌711:戻ってきていた節子

今日はお盆、節子が彼岸から戻ってくる日です。
迎え火にお墓には家族みんなで行きたいと思っていたので、娘が出かける前に無理をいってみんなで出かけました。
お墓は自動車で5分程度のところにあります。
迎え火をたいて、無事、節子は戻ってきました。
こうして節子が自宅に戻ってきたわけですが、今朝まで自宅にいた節子はどうなっているのでしょうか。
どうもこのあたりがいつもややこしいのですが、まあ深く考えるのはやめましょう。

と、ここまで書いてきて、昨日の「ただいま」の意味に、いまやっと気づきました。
せっかちの節子は、一足早く、昨日の朝、戻ってきたのです。
そうに違いありません。
そう考えると納得できます。

最近、少し寝不足が続いています。
それで今日はちょっと昼寝をすることにしました。
で思い出したのが、節子は病気になってから時々昼寝をしていました。
節子は若い頃から昼寝のできない人でしたが、わが家で一か所だけ眠れる場所を見つけたのです。
それは1階の廊下です。
わが家で一番涼しいところです。
その廊下に座布団を敷いて寝ていました。
それを思い出して、私もそこで寝てみました。
実は私もなかなか昼寝のできないタイプです。
でも廊下に横になってみたら、自然と寝てしまいました。
ところがやはりまた突然に目が覚めてしまいました。
節子の夢を見たのです。
なぜか節子はまな板に乗せた野菜を包丁で切っていました。
後姿が見えたので、私は節子の後ろにいるわけです。
節子も一緒に昼寝しないか、と声をかけました。
料理などしている時間はないのだから、という思いがあったのです。
節子が私の気配に気づいて振り向こうとした時に目が覚めてしまいました。
その後、またその意味がわからずに、ぼんやりと廊下で寝転んでいました。
どうやら1時間ほど寝てしまっていたようです。
私にはめずらしいことでした。

少し疲れがなくなっていたので、挽歌でも書こうかとパソコンに向かって、迎え火のことを書き出した途端に、昨日の「ただいま」の言葉を思い出したのです。
なんということのないことなのですが、私にはすべてがつながっているような気がしてなりません。
今日は節子と一緒にゆっくりしようと思っています。
でもどうやって過ごしたらいいでしょう。
姿が見えない人と付き合うのは、あまりなれていないので、節子を満足させてやれないかもしれないのが不安です。

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