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2009/08/25

■節子への挽歌723:節子に寄り添っていなかった自責の念

節子
昨日は久しぶりにちび太と散歩に行きました。
いつもは娘たちが行ってくれるのですが、今日は不在で、逆に私が在宅していたのです。

ちび太は昨日が誕生日です。
もう14才、人間でいえばたぶん私よりも年上に当たる老犬です。
最近、耳が遠くなっただけでなく、時々、ボケ現象が起こるほどです。
ですから散歩も以前のように遠出はしません。
せいぜい自宅周辺を10分ほど回るだけなのです。
それでも戻ってくる頃にはへとへとの感じで、よたよたしてしまいます。

わが家の近くはわずかばかりの坂道です。
元気な人には坂道などと気づかないほどのわずかな傾斜です。
しかし、そこに来たら、よたよたしていたちび太の歩き振りがさらに遅くなり、時々、立ち止まるのです。
そういえば・・・・

節子が再発し、散歩に行けなくなってからも、節子は少しでも歩こうと心がけていました。
そして、夜になってから、自宅の周辺をゆっくりと歩き回るのを日課にしていました。
私もできるだけそれに付き合いましたが、その歩き方は実にゆっくりでした。
歩くというよりも、少しずつ動きながら立っているという感じでした。
そのうちに、わずかばかりの傾斜のあるところには行かなくなりました。
下る時はいいのですが、登る時は辛いからだといいました。
ほんのわずかな坂なのです。
最初は私には理解できませんでした。
普通の人には気づかないような坂が、節子には辛かったのです。
ちび太の歩き振りを見て、その頃のことを思い出しました。
そして、あの時、私は節子と寄り添っていたのだろうかと反省しました。
おそらく無意識に、あるいは身体的に、節子を急がせていたことでしょう。
だから時に節子は、一人で歩いてくるから一緒に来なくていい、と言ったのです。

寄り添うように見せかけて、私は節子に寄り添っていなかったのです。
散歩だけではありません。
いろいろな場面で、私は節子に寄り添うのではなく、節子を私に寄り添わせていたのかもしれません。
急にそのことに気づきました。
なぜ節子に合わせて、ゆっくりと歩けなかったのか、
いや、なぜ節子に合わせて、ゆっくりと生きなかったのか。

この挽歌を読んでくれている読者は、私が節子にけなげに寄り添っていたように感じているかもしれません。
しかし、ほんとうは、私は節子に寄り添っていなかったのです。
思い当ることは山のようにあります。
悔やまれることが次々と思い出されます。
寄り添うどころか、おそらくは薄情な夫でしかなかったのです。

節子が病気になってからも、私は節子の思いなど理解することなく、元気に歩きすぎていたのではないか。
寄り添っていたと言い切る自信がありません。
節子はきっと不満だったでしょう。
いまさら遅いのですが、それが痛いほどわかります。

節子に対してさえ、それができなかった私には、他者に寄り添うなどと言うことはできようはずがありません。
節子
あなたに支えられて取り組んできた、コムケア活動への自信が揺らいでしまいました。
何のために私は、節子との時間まで削いで、コムケア活動にのめりこんでいたのでしょうか。
完全に間違っていますね。
自己嫌悪に陥ります。

早朝に目が覚めてしまいました。
心がとても不安です。
今日はいろんな人に会うので元気を出したいのですが。

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