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2009/08/01

■節子への挽歌699:死と向き合う

昨夜は六呂師高原温泉で泊まりました。
一度、死に向かいあった人たちの集まりは、最初は重い感じでの始まりでしたが、話しているうちにみんなの心も開けだしました。
心が開きだせば、むしろ絆は一挙に深まります。
それにしても、この2日間は気づくことの多い集まりでした。
頭での知の気づきではありません。
心身での生の気づきです。
テレビや新聞の取材関係者もかなり来たのですが、彼らも含めてすべて一緒に扱うことにしました。
こういう集まりもめずらしいでしょう。
しかし、みんな同じ人間なのですから、当然といえば当然です。
私の好きなスタイルです。

しかし、こうした大勢での集まりが苦手な人もいます。
会場に座っているだけでもストレスがかかるのです。
それに、参加者のリズムがそれぞれ大きく違います。
状況にあわせて、それこそ「カジュアル」に進行させなければいけません。
思いもしなかった事態も起こりましたが、そうしたことに慣れている人も何人かいましたので、結果的にはすべていい方向に向いたように思います。
またホームページや別のサイトでもう少し詳しく書くつもりですが、私には刺激的な2日間でした。

私は参加者の全員と話すことができました。
長く話した人もいますし、一言二言だけのやり取りだった人もいますが、それぞれに心に残る人たちばかりでした。
人生を誠実に生き、一度は死を試みた人の語りは、言葉の奥にたくさんの思いが詰まっています。
それが、私にも強く響きます。
節子のことがなかったら、その響きは頭にしか入ってこなかったかもしれません。
私も単なる一方的な「善意の支援者」になってしまったかもしれません。
しかし、節子のおかげで、一人ひとりの思いが痛いように伝わってきます。
涙にも冷静に対応できます。
そして遠慮せずに、軽口もたたける自分に気づきました。
人は一度、死に直面すると変わるものです。
そんなことをつくづくと思いました。

職人のHさんは、最初話もできませんでしたが、最後にはとてもたくさんのことを話してくれました。
彼にはまた数年後に会いたいと思いました。
料理人のTさんにはいつか料理を食べさせてもらう約束をしました。
Sさんは、自分の苦しさにもかかわらず、誰か同じような人がいたら応援したいと最後に言ってくれました。

たくさんの感動と喜びの2日間でした。
節子にじっくりと話を聴いてもらえないのが、とても残念です。
喜びと同時に、実は悲しさやさびしさも背負い込んできたのです。
一人でいいから、私にすべて任せていいと言ってくれる人がいてほしい、と言った人がいました。
その言葉は、心に深くしみこみました。
節子は、私のとっての、そういう人でしたから。

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