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2009/08/01

■今年は手賀沼花火大会がありません

毎年、8月の第一土曜日は、私が住んでいる我孫子の手賀沼の花火でした。
手賀沼に面した我孫子市と柏市とが一緒に花火を競い合うようにあげるのです。
ところが今年は財政事情から中止になってしまいました。

先日、「入りをもって出るを制する政治は終わった」と書きました。
以前、最近の政府は「出るをもって入るを制する」発想になっている、と書いたことを思い出しました。
誤解されそうなので、花火大会中止の例で補足しておこうと思います。

「出るをもって入るを制する」で指摘したのは、予算が足りなくなったら借金もしくは増税をするという政府の姿勢を批判したものですが、「入りをもって出るを制する政治は終わった」で指摘したのは、「運営」発想から「経営」発想への転換の必要性です。
運営は与えられた予算を消費してある課題に対応することです。
これまでの行政のやりかたです。
それに対して経営は、資金調達を含めて必要な課題に対応することです。
資金調達と課題対応(事業)がつながっている点が、運営とは違います。

花火大会はどうでしょうか。
行政予算がなくなったから花火を辞めるというのは「運営」発想です。
経営発想ではどうするか。
花火を継続することを住民が望んでいるかどうかを評価し、もし望んでいるのであれば、住民にも声をかけて継続の方策を考えるということです。
平たく言えば、住民や見物客にも資金負担をしてもらうということです。
近くの松戸市では、住民たちが資金負担も行いながら、住民たちみんなの花火大会になっていると、先週わが家に来た人が話していましたが、それが私の考える「共創型まちづくり」です。
お金がなければみんなで知恵を出し合えば良いのです。
みんなで知恵を出し合えば、お金の問題は克服できることが少なくないでしょう。

「入りをもって出るを制する政治は終わった」というのは、そういう意味で書きました。
国政における財源問題にも同じことが言えます。
政策が価値があるのであれば、財源問題はいかようにも解決できるはずです。
なぜならば政策の優先順位の問題だからです。
それを二の次にして、財源に関心を向けさせるのは、これまでの既得権を守ろうとする政治家の発想でしかありません。

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