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2009/08/10

■政党マニフェストの採点という愚行もしくは犯罪

政党マニフェストに関する採点が新聞の1面に取り上げられています。
マニフェストの採点?
私には信じられない愚行です。
点数主義で育ってきた優等生たちの考えることでしょうが、愚考どころか危険な要素を内在しています。
すべてを合計点や平均点で考える生き方をしている人の発想ですが、合計点や平均点で考えることの危険性を私たちはいろいろと体験してきているはずです。

個別問題に関しても採点は大きな危険性を持っています。
採点において重要なのは、採点基準、つまり採点者の価値基準です。
それが違えば、当然、採点結果は違ってきます。
それを示さずに採点結果だけを示すのは、一種の詐欺行為ではないかと思います。
採点結果は中立的な定量的な数字になってしまいますから、そこで高得点が良いイメージをつくりだすことは否定できません。
質的な多様性が単一の量に転換されてしまうわけです。

しかも、そうした個別問題の採点を合計してしまうとどうなるのか。
合計点の持つ意味が、私には全くといっていいほど理解できません。
ただ一ついえることは、マニフェストを採点するということは、採点者自身の価値基準や行動姿勢を露呈することであり、実は自らの評価をしているということです。
私は、政党マニフェストの採点(評価ではありません)をしている団体はまともな団体ではないと思いますが(要するに権力に寄生する御用団体です)、残念ながら、そうした団体の「不誠実な」(悪意を伴っているとさえ私は思いますが)採点が深層心理的に選挙に影響を与えるとしたら、それは大きな問題ではないかと思います。

マニフェストを評価するとは、採点することではなく、その整合性を解説し、実現可能性を検討し、政策としての意味、とくに政党間のマニフェストの違いを解明することではないかと思います。

それにしても、なんでマニフェストなどという言葉が使われるのか、胡散臭さを感じます。
多岐にわたる政策が具体的に書き連ねることは、その党の政策理念を見えにくくするだけの話です。
サブプライムローン問題が明らかにしたように、担保証券の仕組みによって問題を見えなくしてしまうような金融工学者たちの犯罪的行為と同じものを、私は最近の政治工学者たちに感じてしまうのですが、これは杞憂なのでしょうか。

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