■無垢の生活者まで殺害して自らの生命を守りたいのか
今日はある集まりに出かけていたのですが、帰宅してパソコンを開いたら、昨夜のNHKの「核兵器」の番組に対する非難のメールがたくさん届いていました。
どうも呆れたのは私だけではなかったようで、いろんなメーリングリストで怒りの声が流れてきます。
私も投稿したいのですが、私自身が何もしていないことの負い目を強く感じているので、投稿できずにいます。
それで、まずはこのブログに私の姿勢を書くことにしました。
私は核武装とか核抑止力とかいう発想を完全に拒否します。
では、もし核攻撃されたらどうするか。
甘んじて攻撃を受けます。
国が滅びるではないかという人がいますが、核攻撃されるような国は滅びても仕方がありません。
誤解されそうな書き方ですが、それが私の信念です。
世界にとって存在の価値がある国であれば、攻撃などされないと思うのです。
もし攻撃されるとしたら、それは価値がないことなのです。
それが私の、すべてにおける考え方の基本です。
もし核攻撃の危険を感じて、それを防止するために核攻撃したらどうなるか。
間違いなく核攻撃は広範囲に影響を与えますから、必ず無垢の生活者を巻き込むことになります。
無垢の生活者を核攻撃の危険にさらす側に、自らを置きたくはありません。
それをするくらいなら、危険にさらされる側に自らを置きたいと思います。
その覚悟がなければ、核廃絶などを口にすべきではないでしょう。
それが私の基本的な考えです。
被爆された人の前で、核武装論を説く人にはわかってもらえないでしょう。
昨日のテレビの討論は、嘔吐すべき内容でした。
いまなお怒りを収められずにいます。
みなさんは、無垢の生活者まで殺害して自らの生命を守りたいですか。
昨日の参加者にそういってやりたいです。
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