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2009/08/07

■パソコンはただの部品の組み合わせた箱

ノートパソコンのキーボードが一部、動かなくなってしまいました。
キーボードを外して掃除したら直るかもしれないと、パソコン通の坂谷さんが教えてくれました。
坂谷さんは、先月、私のパソコントラブルを解決してくれた恩人です。

坂谷さんに教えてもらって、パソコンのキーボードを取り外してみましたが、今回は残念ながら直りませんでした。
しかし、どうも病み付きになってしまい、今日も2台のノートパソコンのキーボードを外してみました。
パソコンを分解するのは気分がいいものです。
いま使っているメインのパソコンも一度分解してみましたが、万能に思えるパソコンも分解してみれば、何のことはないただの箱でしかありません。
それがわかるだけで、パソコン信仰はなくなります。
これから時々、意味もなく、パソコンを分解したくなりそうです・

パソコンはモジュール化していますから、その構造を知ってしまえば、組み立てや改造もできるのでしょう。
誘惑的な魅力を感じます。
もちろん今の私にはそれは無理ですが、そうやっている人の気持ちが少しわかったような気がします。
そうした魅力に勝てずに、以前はいろんなものを壊してきましたが、パソコンは極めてシンプルな構造なので壊しようがないかもしれません。

まあどうでもいい話なのでが、実はこういう行為にとても大きな意味があるような気がしています。

私たちはいろいろな制度や専門家に関わりながら生活を成り立たせていますが、そうした制度や専門家も要するに中身を知ったらたいしたことはないということを言いたかったのです。
そもそも大昔は、そんな制度もなく、専門家もいませんでした。
百姓的な生活に憧れる私としては、自分でできることは自分でしたいと思っているのです。
それが、昔からのわが家の文化でもありました。
必要なことを市場から調達せずに、自分たちで対応すれば、前にも書いたように経済成長にはつながりません。
ですから、私の生き方は、極端に言えば、反経済成長路線の生き方なのです。

制度もそうです。
制度は、それに関わる人が気持ちよく生きるための仕組みですから、制度に合わせなければいけないなどと発想する必要はありません。
制度をつくる人は、難しい制度をつくりたがりますが、その制度も分解してみたら、わずかなルールで成り立っているのです。
有名なボイドの話を思い出します。
しかし、私たちは多くの場合、複雑さを装う目くらましの制度にがんじがらめにされているような錯覚に陥りがちです。

今回の裁判員裁判は、裁判官も検事も弁護士も、所詮は普通のおじさん、おばさんなのだということを見せてくれた効用はあったのかもしれません。
普通以下ではないかと気づいた人も少なくないでしょうから、その弊害もまた大きいのですが。

時にパソコンを分解するのは、そうした錯覚的人生の呪縛から解き放たれる効果があるように思います。

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