■節子への挽歌704:田中さんの表札には象が描かれるようです
節子
ネパールのチューリップの写真を送ってくれた田中雅子さんがやってきました。
CWSコモンズにカトマンズ便りを投稿してくれていた田中さんです。
パートナーの定松さんも帰国され、日本での生活に入ったそうです。
節子は、いつも田中さんの話を聴くたびに、小柄な田中さんのどこにそんなすごいエネルギーがあるのだろうと不思議がっていました。
田中さんに会う度に、そのことを思い出します。
田中さんは、今日は、娘のところにスペインタイルの注文の打ち合わせに来たのです、
日本に住むことになったので、表札をつくるのだそうです。
デザインには、なぜか象を入れるようです。
表札のデザインの打ち合わせが終わった後、いろいろと話を聞かせてもらいました。
田中さんは、いま、アジア女性資料センターに運営委員として関わっているようです。
そういえば、昨日、東京で「オンナ・ハケンの乱」というデモ活動があったのですが、そのデモにもアジア女性資料センターは賛同団体になっていました。
田中さんは、この15年ほど、海外で活動していましたので、日本のNPOやNGOとの交流は少なかったかもしれません。
そのせいで、いろいろとカルチャーギャップも感じているようです。
お話を聴いていて頷くことばかりでした。
私が田中さんの活動の姿勢に共感したのは、田中さんたちが出版した「続入門社会開発」を読んだからです。
地に足つけて生活者を基本に置いた発想は、舞台こそ違い、私が基本にしたことでした。
それに、節子と田中さんとは、全く別の舞台の人でしたが、私にはどこか通ずるものを感じていました。
だから節子は田中さんの活動に驚異を感じていたのかもしれません。
通じたところのない活動には、人は驚異を感じないものです。
さてさて田中さんが帰国した後、ネパールのチューリップはどうなるでしょうか。
元気で増えてくれるといいのですが。
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